2004年 古き仏たちを訪ねて・奈良旅行記

奈良・斑鳩町にある世界遺産「法隆寺」金堂と五重塔。ともに世界最古の木造建築物


2004.11/12〜14にかけて、京都・奈良へ行ってまいりました。時間が無くて今回は京都はパスし、東大寺−県立博物館−興福寺−平城京跡−薬師寺−唐招提寺、そして大和郡山に一泊したあと、最終日に法隆寺−中宮寺とまるで修学旅行の高校生並に奈良の有名どころを重点的に回ってまいりました。少々ハードなスケジュールでしたがお天気にも恵まれ、なんとか予定をこなすことができました。

11/13

13日朝9時30分に奈良県庁となりの駐車場(1回:1000円)に車をとめ、15分ほど若草山方面へ歩くと東大寺に到着。ここは、奈良観光には欠かせない定番中の定番のお寺。最近修学旅行は春にやるケースが多くなったため修学旅行生はいなかったが、善男善女や海外からの観光客で賑わっていた。



東大寺は752年に聖武天皇によって全国に建てられた国分寺の総本山のようなお寺で、本尊は毘廬舎那仏(びるしゃなぶつ)と呼ばれる大仏様(写真撮影OK)。不幸にもたびたび火災や戦火に見舞われ、両手は桃山時代、頭部は江戸時代のものである。現在の大仏殿も江戸時代に立て直されたものであるが、世界最大の木造建築物に変わりはない。



大仏様の後ろの柱に穴が空いており、ここをくぐると御利益があるとかで、たくさんの観光客がくぐっていた。写真に写っているのは韓国からきた観光客さん。



本殿の回廊にかけてあった昭和の大修理が終わったあと行われた落慶法要の写真。



大仏殿裏の道を正倉院方面へ歩く奥さんとムスメ。紅葉が綺麗。



正倉院。宮内庁の管理とは知らなかった。



ミニ正倉院ならぬ立派なトイレ。トイレットペーパーまでオリジナル、さすが東大寺。



奈良国立博物館でタイミング良く第56回正倉院展をやっていたので入ってみる(1000円)。奈良時代に外国から伝わったとみられる楽器や衣裳、家具などが展示されており黒山の人だかりだった。



博物館を出て興福寺へ向かう途中にいた鹿のショット。よくここまで人に慣れたものだ。



 





 興福寺五重塔。もともと興福寺は藤原鎌足の子、不比等によって建てられた七道伽藍の立派なお寺だったが、1717年の大火でこの五重塔と東金堂などを残してほとんどが焼失してしまい。明治時代には危うく廃寺になりそうになる。現在、本堂などを復元しようと工事が始まっており、完成がまたれている。











12時を回ったので、奈良公園を離れ、西へ向かう。ネットで情報を仕入れた国道24号線沿いにあるマリオ流ラーメンに寄り、濃厚塩ラーメンを食す。あの濃いスープは一体どうやって作ったのだろう。ちょうど社長の福永さんがいたので少し話をしてみたが、血と汗の結晶ですとの説明だった。
マリオ流ラーメンを後に平城宮後へ向かう、福永さんにおそわった道をゆくと遺跡のまん中に出てしまった。復元された朱雀門もあるのだが駐車場が見つからない。結局駐車場を探して遺跡をグルっと一回りしてしまい面倒になったので薬師寺方面へ向かってしまった。

薬師寺は天武天皇により発願され持統天皇によって飛鳥の地に建立され、平城遷都により現在の地に移された歴史をもつ寺。南都七大寺の一つとして栄えたが、1528年の戦火により東塔を残し灰燼となる。その後細々と続いていたが昭和42年、高田好胤管主により金堂、西塔、中門、回廊、大講堂が復元される。新しい建物が多いので好き嫌いが別れるところだが、そもそも建設当時はこんな感じだったということが解っただけでも良いのではないだろうか。なお、堂内には国宝の薬師三尊像が安置されている。(駐車場:500円 入場料:500円)



”凍れる音楽”の愛称で有名な薬師寺三重塔。一見六重に見えるが裳階(もこし)と呼ばれるひさしがあるので三重。奇跡的に戦火をのがれて生き残った塔である。



これも最近建てられた玄奘三蔵院伽藍。後ろにある大唐西域壁画殿には平山郁夫画伯の描いた西域の壁画があり、今回見ることができた。天山山脈の絵は見応えあり。あのタリバンに破壊されたバーミヤンの絵も。これを見るだけでも薬師寺に行く価値はあるというもの。



薬師寺から徒歩で次に向かったのは唐招提寺。これは入り口の南大門。ん、なにか中の様子が変。(入場料:500円)



寺の境内なのに工場のような建物が...



   金堂がない〜!!!!

聞けばプロジェクト2010とかいう大修理の真っ最中とのことであった。詳細は下記のとおり。

唐招提寺は、中国の高僧 鑑真和上(688~763)により創建された律宗の総本山。鑑真和上は聖武天皇の招聘に応えて来日を決意され、五度の渡海の失敗と度重なる艱難辛苦のすえ両目の光を失いながらも753年、渡航を志してゆうに12年の歳月を経て、来日を果たす。この偉業は日本でも中国でも広く知られている。
唐招提寺が創建されたのは和上来日より五年後の759年、律宗の研究道場として故新田部親王の旧邸を授けられたのが始まり。境内には金堂、講堂、宝蔵、鼓楼(いずれも国宝)をはじめとする伽藍が立ち並んでいるが、これらは朝廷や有力者などの寄進により徐々に整えられていったもので、現在でも、創建時の姿を伺い知ることができる。中でも、南大門をくぐって正面に佇む金堂は、奈良時代に建立された金堂としての唯一の遺構であり、その堂々たる姿と静謐さをたたえた美しさが多くの人々を魅了してきた。(現在は解体修理中)
唐招提寺は1989年に「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録された。しかし1995年阪神淡路地方を襲った大地震が金堂の基壇をも揺るがし、調査の結果直ちに修理の必要性が明らかになったため、2000年より10年間に及ぶ金堂平成大修理事業が始められた。現在金堂は解体修理の真っ只中である。

薬師寺とは対照的に境内の雰囲気はクラシック。これは鑑真和上廟。つまりお墓である。ここにあるとは知らなかった。なお、御影堂という建物には和上の像(国宝)と東山魁夷画伯の見事なふすま絵があるのだが、残念ながら非公開であった。

唐招提寺を後に、徒歩で薬師寺駐車場まで戻り、ネットで予約した大和郡山市内のホテルに向かう。”ビジネスホテル大御門”という名のホテルであったが、夕食には玄関脇にあったお好み焼き屋が良かったのでOKとする。なお、朝食はコンチネンタル・ブレックファーストであった。お〜い、ここは日本じゃ〜!

11/14

ホテルから約10分にて斑鳩町にある法隆寺に到着、一番近いと思われる駐車場(600円)に車をとめ、入場料1000円也(高!)を払って境内へ。まだ朝の早いうちだったのお客は少なめだった。写真は中門と五重塔。松と寺とのコントラストが見事に合っている。



手前の石碑は平山郁夫画伯の揮毫。よくあちこちへ顔を出す方だ。



我が国で現存する最古の五重塔がこれ。飛鳥時代のもの。今回初めて知ったが1階には四方に塑像が置かれており、北側には涅槃の像がある(これも国宝)。まあ、塔はもともとお釈迦様のお墓であるので納得。



五重塔の先端をかすめて?ジェット旅客機が飛んでいた。以前は無かった光景だが、関空ができて、このあたりが飛行コースとなったようだ。まるで水煙にとりつく”とんぼ”の様。



法隆寺には国宝が数え切れないほどあるが、その一つが百済観音像。八頭身のスラリとした観音様であるが、この観音様を納めるお堂をなんと平成10年に造ってしまったのだ。写真はその百済観音堂。内部は聖徳太子ゆかりの「玉虫の厨子」など国宝級のお宝が展示されており、立派な美術館といった雰囲気。そして一番奥には百済観音様が分厚いガラスケースの中にたたずんでいた。



おなじみ夢殿。これは奈良時代の建築で救世観音が安置されているが幸運にも特別に開帳されていたが暗くて良く見えない。そういえば、法隆寺のガイドさんは皆さん懐中電灯を持参していた。



夢殿のすぐ隣に中宮寺がある。やさしい顔をした弥勒菩薩が有名でこれだけのために500円を払って拝観する。もともとはもっと東にあった尼寺であったが、戦火で法隆寺の隣に避難し、そのまま住みついてしまったようである。写真はその弥勒菩薩を安置するために作られたお堂。

何十年ぶりに訪れた古都は変わっていた。世の移ろいと言ってしまえばそれまでだが、確実に言えることは自分が歳をとったということ。それにより若いとき(気持ちだけはまだ若いつもりだが...)感じたものと、今感じたものとに多少の違い生じたこと。そして半分を切った人生を考えるようになったことである。
う〜ん、いかんいかん。センチメンタルになってしもうた。では、今回のリザルト。走行距離は963km、使用したガソリンは77.2L、平均燃費は12.47km/Lと出た。このご時世、ほんまに助かるBLくんですわ。

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