2006年 太陽の塔・石山寺

太陽の塔とメタセコイア


’06.10/13に京都へ行く用事があったので、用事の後に大阪府吹田市にある「万博記念公園」と、翌日、滋賀県大津市にある「石山寺」へ行ってまいりました。


万博とは

日本万国博覧会(にっぽんばんこくはくらんかい)は、大阪府吹田市千里丘陵(約350ヘクタール)で、183日間の会期(1970年3月15日 - 9月13日)で行われた日本で最初の国際博覧会。別名:大阪万博EXPO'70。主催は、財団法人日本万国博覧会協会(当時、現在の独立行政法人日本万国博覧会記念機構)。
「バンパク」と親しまれ、「人類の進歩と調和」をテーマとし、日本を含む77カ国と四つの国際機関が参加した。総入場者数は、6421万8770人と万博史上最多。さらに万博史上初めて黒字となった。東京オリンピック1964年)以来の国家的イベントであり、多くの企業・研究者・建築家芸術家らがパビリオン建設や映像・音響などのイベント制作・展示物制作に起用され、高度経済成長を成し遂げアメリカに次ぐ経済大国となった日本のシンボル的な意義をもつイベントとなった。また大阪市など会場周辺都市でも地下鉄建設などの大規模開発が進められた。一方、第二次大戦以来の規模となる芸術家らの国家イベントへの動員は芸術界内部で批判があったほか、同じく1970年に予定されていた日米安全保障条約改定に関する議論や反対運動(70年安保闘争)を大イベントで国民の目から隠すものだとして、大学生らによる反対運動も行われた。
現在では、人気パビリオンでの数時間の行列など「大量の人による混雑」が伝えられており、特にアポロ11号が持ち帰った「月の石」を展示したアメリカ館の行列は延々続き、途中であきらめて他の館へ行く人も多かった。またその異常な混雑ぶりから、一部では万博のテーマをもじって『人類の辛抱と長蛇』と揶揄されたという。
愛称の「万博(バンパク)」は、この博覧会の正式名称の「万国博覧会」を略したものだが、その後の国際博覧会の愛称にも引き継がれている(科学万博花の万博愛知万博)。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


太陽の塔

1970年に大阪で「日本万国博覧会」が吹田市、千里丘陵で開催されました。そのとき万博のシンボルとして製作されたのがこの「太陽の塔」です。作者はあの「芸術は爆発だぁぁぁ」の岡本太郎画伯。鉄とコンクリート製で高さは65mとNYにある自由の女神像の45mを軽く超えています。



「太陽の塔」には顔が4つあり、一番天辺にある「黄金の顔」、真ん中にある「太陽の顔」、裏側にある「黒い太陽の顔」、そして内部にある「地底の太陽の顔」です。ただし現在内部は公開されておりませんので全てを見ることは出来ません。



「太陽の顔」ですが何故か右の目から涙の跡が...

万博公園(入場料:大人200円)には1時間ほどしかいられなかったので、見たのは「太陽の塔」のみ。広い敷地内には日本庭園や遊園地エキスポランドなどがあるので、子ども連れで1日過ごすのが良い感じの公園です。ただし、駐車料金1200円というのがネックかな。

石山寺

石山寺 (いしやまでら)は、滋賀県大津市石山寺1丁目にある真言宗寺院。本尊は如意輪観音、開基(創立者)は良弁(ろうべん)である。石山寺は、京都の清水寺奈良県長谷寺と並ぶ、日本でも有数の観音霊場で、西国三十三箇所観音霊場第13番札所となっている。石山寺は『蜻蛉日記』『更級日記』『枕草子』などの文学作品にも登場し、『源氏物語』の作者紫式部は石山寺参篭の折に物語の着想を得たとする伝承がある。「近江八景」の1つ「石山秋月」でも知られる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

石山寺が創建されたのは奈良時代、747(天平19)年。聖武天皇の治世下。同天皇は奈良時代・天平文化の代表格ですが、自身は、740(天平12)から745(同17)年の間、恭仁宮(JR関西本線・加茂駅附近)、紫香楽宮(信楽高原鐵道・紫香楽宮跡駅附近)、難波京(大坂城附近)と遷都を繰り返しました(結局最後は平城京に戻りますが)。壬申の乱(672年)のあと、わずか5年で廃墟になった大津の地に石山寺がこの時代に創建されたのは、もしかしたら紫香楽宮の存在と関係があるのかもしれませんね。
 現在も、西国巡礼の第十三番札所として信仰を集めており、鬱蒼とした境内では様々の花が咲き乱れ、一年中いつ訪れても花が見られる「花の寺」としても知られています。
 なんといっても有名なのは、紫式部が『源氏物語』の構想を練ったのがここ石山寺であるということ。古今を通じて日本文学の最高峰と呼ばれるこの傑作が生まれたのは大津なのです。源氏物語の華麗な世界は、紫式部が石山寺の花々にインスピレーションを受けて書いたのでしょうか。石山寺には、その執筆に使われたという「源氏の間」が残されています。
京阪電車大津線公式webサイトより抜粋

石山寺・東大門です。駐車料金は600円、拝観料は大人500円。



本堂へ登る階段ですが、階段を登った所にあったのが紫式部が源氏物語を書いたといわれる「源氏の間」。



展望台のような場所から見た瀬田川及び琵琶湖方面。カヌーが何台もパドルを漕いでいた。



1954年に作成された「紫式部像」。作者は嵯峨美短大教授 辻 浩 さん。

京滋バイパスを通るときいつも気になっていた石山ICで降り5分ほどで石山寺到着。当日は良いお天気にも恵まれ、観光客に混じって西国巡礼の遍路さんも大勢訪れていた。昔、高校の修学旅行で一度訪れたことがあるが懸崖作りの本堂くらいしか記憶は残っていなかった。

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