2007年 萬福寺・宇治上神社・平等院

平等院鳳凰堂、ワイドレンズの効果抜群!


2007年10月29日、電車で宇治方面へ行く。目的は萬福寺、源氏物語ミュージアム、宇治上神社、そしておなじみ平等院。平等院は2003年6月に行っているが、他ははじめて。

萬 福 寺

萬福寺は、1654年(江戸時代)、中国福建省から渡来した隠元禅師が後水尾法皇や徳川四代将軍家綱公の崇敬を得て1661年に開創された中国風の寺院。日本三禅宗(臨済・曹洞・黄檗)の一つ、隠元禅師、木庵禅師、即非禅師など中国の名僧を原点とする黄檗宗の大本山です。
萬福寺は中国の明朝様式を取り入れた伽藍配置で、山号寺号は、隠元禅師ゆかりの中国萬福寺にならって「黄檗山萬福寺」と名付けられました。諸堂宇建立は、寛文元年(1661)から本格的にはじめられ、幕府は作事奉行に青木甲斐守重兼、大工秋篠家で萬福寺は建立され、さながら幕府の事業のひとつと言っていいほどの事業となりました。その後、萬福寺は創建の援助をした大老酒井忠勝からの千両など、多くの武士や商人から寄進を受け、また寺領400石が支給されるなど経済的にも安定期を迎えます。寛文6年(1666)には、将軍家綱が白金二万両とチーク材(雲南木)を寄進し、舎利殿など多くの伽藍が造営されました。隠元禅師が隠棲したあとも木庵禅師が住持となり、約17年間の歳月をかけ、法堂など諸堂宇が立ち並ぶ大寺院が京都の宇治に誕生します。
 萬福寺の住持は、代々中国人僧侶で継承することが特色でしたが、14世に日本人僧侶の龍統元棟(りゅうとうげんとう)が初めて住持となり、ついて17世を祖眼元明(そがんげんみょう)が就任、21世までは中国僧が住持で歴代をつないできました。その後は、日本人僧侶の住持で継席されていくこととなります。
江戸時代になって萬福寺の寺域は、約21万坪に達しますが、明治8年(1875)、その大半が陸軍省の用地として没収され、大幅に規模が縮小されます。明治7年、曹洞宗と臨済宗が分離し、一旦、臨済宗に所属しますが、明治9年、臨済宗から一宗として独立、「黄檗宗」を公称し、萬福寺はその本山となり現在に至っています。
昭和45年(1970)、諸堂の大修理がなされ、昭和48年(1973)、文華殿が開館し多くの黄檗宗の資料が収蔵・展示されています。また、23棟の建物や書画など多くが国の重要文化財に指定されています。日本では例がない代表的な禅宗伽藍配置をもつ寺院として、創建当初そのままの姿を今日に伝えています。 
 (萬福寺HPより抜粋)
萬福寺へのアクセスは、JR奈良線・JR黄檗(おうばく)駅又は京阪電鉄・京阪黄檗駅より徒歩5分。駐車場はあることはあるが、分かり難く、狭いので電車がお勧め。

萬福寺三門、拝観料は大人500円。なお、境内全域が重要文化財に指定されている。



天王殿(本堂)への石畳も、どこか中国風。



これがご本尊のほてい様!なお、ほてい様(布袋和尚)は弥勒菩薩の化身だそうだ。



堂内には四天王がほてい様を守っている。



齋堂(食堂)の前に吊されている巨大な魚板。叩く棒もバット級。



法堂では、僧達が修行中であった。なお、両サイドに方丈があるのだが、非公開。



廊下から庭園を見る。これも中国風である。

萬福寺を後に、京阪電車で終点の京阪宇治駅へ移動、徒歩にて源氏物語ミュージアムへ向うが、月曜日は休館日であった、残念。平日はどこも空いていて良いのだが、時々こういうことがある。

宇治上神社

宇治上神社 (うじがみじんじゃ)は、京都府宇治市にある神社世界文化遺産古都京都の文化財」の構成要素。菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)・応神天皇仁徳天皇を祀る。宇治神社と対をなす。
起源は必ずしもはっきりしない。すぐ近くに宇治神社があり、明治維新前は両方を合わせて宇治離宮明神、八幡社と呼ばれ、宇治神社を下社・若宮とするのに対して、宇治上神社は上社・本宮と呼ばれている。延喜式神名帳には「山城国宇治郡 宇治神社二座」とあり、それぞれ宇治神社・宇治上神社を指している。近くに平等院ができるとその鎮守社とされた。
2004年2月、奈良文化財研究所・宇治市などの年輪年代測定調査によれば、本殿は1060年ごろのものとされ、現存最古の神社建築であることが裏付けられるとともに、1052年創建の平等院との深い関連性が考えられる。

Wikipediaより抜粋     


世界文化遺産・国宝の拝殿



同じく世界文化遺産・国宝の本殿。どちらもこじんまりとしたお宮だが、日本で最も古い神社とのこと。



引き続き徒歩で宇治川へ出て、橋を渡り平等院を目指す。5年前に来たときは増水のため渡れなかった。

平 等 院

ときの権力者、関白藤原道長が左大臣源重信の婦人から譲り受けた別業をその子頼通が、永承7年(1052)にこれを仏寺に改め、平等院としました。永承7年は末法初年に当たるとされ、末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえ、極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していました。その翌年の天喜元年(1053)には平等院の阿弥陀堂(鳳凰堂)が落成し、堂内には、平安時代の最高の仏師定朝によって作成された丈六の阿弥陀如来坐像が安置され、華やかさを極めたとされています。約1000年前に建立された建造物や仏像が今に伝えられ、世界遺産にも登録されております。
平等院の国宝は平等院鳳凰堂(中堂・両翼廊・尾廊)四棟、阿弥陀如来坐像、木造雲中供養菩薩像 51躯、木造天蓋、鳳凰一対、梵鐘、扉壁画8面が指定されています。

平等院公式HPより    


平等院は寺というより博物館的な存在で、浄土宗の浄土院と天台宗系の最勝院の両寺が管理している。拝観料は大人600円だが、鳳凰堂へは別に300円が必要。



平等院ミュージアム鳳翔館、落慶当時の鳳凰堂内部をCGで再現したビデオは一見の価値あり。
平等院鳳凰堂は、建築・彫刻・絵画・工芸が一体化し、国内では最も密度の高い国宝の集積空間です。さらにその周囲は、国内でも数少ない浄土庭園の遺構がひろがり、建築と庭園が融合したたぐい稀な歴史的環境を今日に伝えています。 1965年に竣功した宝物館は、長らく扉絵、鳳凰、梵鐘、雲中供養菩薩像などの国宝物を収蔵・公開するという重要な役割をはたしてきましたが、老朽化が進み、新しく博物館として鳳翔館を開館しました。 新しい宝物館は、このすぐれた環境のもと、国宝の美術工芸品を良好な状態に収蔵・公開するとともに、鳳凰堂を中心とした境内環境の一部として整備されます。

平等院公式HPより    

この後、JR宇治駅まで徒歩移動15分。駅前の中華料理屋でちゃんぽんを食すが、なかなか美味だった。

OMAKE

翌日、佐久へ戻るが、いつもの名神→中央道も飽きたので、東海北陸道を通り、高山経由で帰ることにした。写真は、ひるがの高原にある、ひるがの高原SA。このあたりから紅葉が見事だった。



標高1709mの大日ケ岳が良く見えた。



飛騨清見ICで高速を降り、高山を目指す。高山までは写真の中部横断自動車道(無料)を通る。



長野県の手前に平湯という地区がある。紅葉が真っ盛り。



安房トンネルは1997年の開通で、長さは4370m。構想から開通までに33年を用した。トンネルの開通により松本−高山が約1時間30分で結ばれ、冬場は不通となっていた区間が、通年で通行できるようになった。なお、通行料は普通車が750円。
安房トンネルは今回はじめて通ったが、道路は広く、照明も明るく、実に快適。あの狭く、きつい安房峠を超えることを考えると夢のようである。

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