2007年 吉野山&大和・當麻寺

吉野山・如意輪寺に咲いていたしだれ桜


2007年4月17日、奈良県吉野町にある、吉野山に行ってきました。吉野山は1333年に北条幕府を倒し、建武の中興を成した後醍醐天皇が足利氏との争いに敗れ、何年か過ごした後、1339年に崩御された所。金峰山寺や如意輪寺など国宝級の寺もあるがなんといっても有名なのが吉野の桜である。

吉 野 山

残念ながら、ソメイヨシノほとんど散ってしまい、赤い新葉が一斉に芽を出しはじめたところ。



これが吉野町の下千本地区。旅館や食堂、土産物屋などが狭い通りにひしめいており、シーズン中は歩行者天国となってしまう。右手上に見えるのが金峰山寺。



賑やかな千本地区の反対側にひっそりと佇むのが如意輪寺。ここには吉野山ゆかりの後醍醐天皇の陵や楠正行(くすのき・まさつら)公に関係するものが多く残されている。



これが如意輪堂、1650年に再建される。



石段をすこし登ったところにある後醍醐天皇陵。「身はたとへ 南山の苔に埋むるとも 魂魄は常に北天を望まん」との辞世の句を残して1339年に崩御される。近くに皇子の墓も。



多宝塔



境内にあった楠政茂(くすのき・まさしげ)と正行(まさつら)の「桜井の別れ」のシーンの像。政茂も足利との戦で戦死するが、正行も1347年に四条畷の戦いで足利方5万の大軍と一戦をまみえ戦死している。23歳。戦にあたって如意輪堂に参拝し、御堂の扉に「かへらじと かねておもへば梓弓 なき数に入る 名をぞとどむる」の辞世の句を矢尻で刻んで出陣したという。なお、この扉は現存し、如意輪寺の宝物殿にある。



如意輪寺から谷を越え、金峰山寺へ、平安時代からあったとされるが、現在の建物は1592年に再建されたもので、国宝。なお、「紀伊山地の霊場と参詣道」は2005年にユネスコ世界遺産に登録された。



金峰山寺付近にあった韋駄天山から吉野山を望む。

當 麻 寺 (たいまでら)

大和・當麻寺 東塔


奈良に数ある寺の中では地味ではあるが、法隆寺に劣らないほどの内容をもつ古刹である。場所は大和高田市の西側にある当麻町にあり、県道30号線に面している。寺の由来は、612年用明天皇の皇子(聖徳太子の弟)が河内国山田郷に萬法蔵院禅林寺を創建されたのが始まりで、70年後に親王の孫にあたる當麻国見が現在地に遷寺し681年起工、694年に名を當麻寺と改称し建立された。いづれにせよ、白鳳末期から天平初期にかけてのことである。(奈良時代より古い!)

曼荼羅(まんだら)堂といい、天平時代に中将姫により織られた曼荼羅をお祀りしている。建物および内部の厨子、須弥壇は国宝。



講堂、本尊の阿弥陀如来像はここに安置されている。向かいの金堂には国宝の弥勒仏があり、いずれも地味な扱いであった。



東塔、天平時代のもので、もちろん国宝。



西塔、東西両塔が現存するのは日本では、當麻寺のみ。



境内に咲いていた八重桜。



帰りがけに気がついたが、この梵鐘も白鳳時代のもので国宝!

OMAKE

如意輪寺の境内に、桜の若木が植えられていたが、こんな方(亀井静香)もきていたのね。



どう考えても北の大地(鈴木宗男)と如意輪寺が結びつかない〜

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