2008年 大原三千院・寂光院

京都市左京区大原にある三千院庭園と往生極楽院


2008年7月29日、再び京都へ。今回は市中を離れ、車で20分ほどの山里にある三千院と寂光院を訪れた。三千院と言うと ♪京都 大原 三千院~ ♪ (1965年デュークエイセス「女ひとり」より)という歌詞が浮かぶ(若い人は知らない鴨)有名な寺。三千院を訪れるのはこれで3度目なのだが、前回来たのはン十年前なので、参道からしてまごついてしまった。

三 千 院

三千院は8世紀、最澄の時代に比叡山に建立された円融房に起源をもち、のちに比叡山東麓の坂本(現・大津市)に移され、たび重なる移転の後、1871年(明治4年)に現在地に移ったものである。「三千院」あるいは「三千院門跡」という寺名は1871年以降使われるようになったもので、それ以前は「梶井門跡」「梶井御所」「梶井宮」などと呼ばれ、「梨本門跡」「円徳院」などの別称もあり、「円融房」が正式の寺名だったようである。一方、往生極楽院(旧称・極楽院)は、平安時代末期の12世紀から大原の地にあった阿弥陀堂であり、1871年に三千院の本坊がこの地に移転してきてから、その境内に取り込まれたものである。
境内には往生極楽院のほか、宸殿、客殿などの建物がある。このうち、境内南側の庭園内にある往生極楽院は12世紀に建てられた阿弥陀堂で、内部には国宝阿弥陀三尊像を安置している(三千院と往生極楽院は元来は別々の寺院であった)。
(Wikipediaより抜粋)
京都の中心部から北東方面へ国道367号線を20分ほど走ると大原の里。ここで有名なのが大原三千院。当日は平日午前9時という時間に加えて雨、いくつかある有料駐車場はどこもガラガラで無人、以前とイメージが違っており参道がわからず探してしまう始末。写真はやっと見つけた参道、ここより三千院まで600m徒歩10分。



おなじみの三千院御殿門。普通は観光客でごった返している場所。石垣に囲まれ、寺というより城の門のよう。



受付で拝観料700円を支払い、まず客殿へ。最初に目にするのがこの庭園、名を聚碧園(しゅうへきえん)と言う。



かけいも中々の趣。



三千院の名物はこの紅葉。紅葉の時期は想像するだけで素晴らしい。



宸殿の前は有清園という池泉回遊式庭園がある。苔の大海原に杉と紅葉が配置されている。



庭園の中にポツンと建っているのが往生極楽院(重要文化財)、中には国宝の阿弥陀三尊像が安置されている。



苔の海の向こうに地蔵尊が。



朱雀門。



わらべ地蔵と命名されている地蔵尊。



こんな感じで、苔の海に埋もれている。

2006年に開館した円融蔵(えんゆうぞう)には三千院の有する重要文化財が納められているが、圧巻は往生極楽院の船底天井に描かれた天井画が復元模写されており、極彩色で極楽浄土が再現されている。ちょうど宇治平等院鳳凰堂に似た感じ。その他には金色不動堂や観音堂があり、終わってしまっていたが紫陽花の庭も有名。

御殿門前に軒をつなげる休み処。



なんと温泉(大原温泉)まである!なお、左側の紅葉に囲まれた道が参道、参道には漬け物屋やお土産屋が延々と連なっている。

寂 光 院

寂光院の草創について、明確なことはわかっていないが、寂光院はそうした草創伝説よりも、『平家物語』に登場する建礼門院隠棲のゆかりの地として知られている。
建礼門院徳子(1155-1213)は平清盛の娘、高倉天皇の中宮で、安徳天皇の生母である。寿永4年(1185年)、壇ノ浦で平家一族が滅亡した後も生き残り、侍女の阿波内侍とともに尼となって寂光院で余生を送った。寂光院や三千院のある大原の里は、念仏行者の修行の地であり、貴人の隠棲の地であった。平家一門と高倉・安徳両帝の冥福をひたすら祈っていた建礼門院をたずねて後白河法皇が寂光院を訪れるのは文治2年(1186年)のことで、この故事は『平家物語』の「大原御幸」の段において語られ、物語のテーマである「諸行無常」を象徴するエピソードとして人々に愛読された。
(Wikipediaより抜粋)
寂光院へは三千院バス停から田圃の畦道のような道をてくてくと歩いていった微かな記憶があるのだが、今回歩いた道には集落と土産物屋と舗装された道が出来ていた。写真の標識は川(高野川)を渡って車の通る道を横切った角にあった標識。寂光院へはここから15分ほどの上り坂  。



寂光院門前にある休み処。以前はなにも無かった記憶がある。



入場料600円を払い50mほどの石段を登ると山門(でいいのだろうか?)。寂光院本堂が見える。



本堂は淀殿(淀君)の命で片桐且元慶長年間(1596-1615)再興したものであったが、平成12年(2000年)5月9日の不審火で焼失した。この際、本尊の地蔵菩薩立像(重文)も焼損し、堂内にあった建礼門院と阿波内侍の張り子像(建礼門院の手紙や写経を使用して作ったものという)も焼けてしまった。現在の本堂は平成17年(2005年)6月再建された。同時に新しく作られた本尊や建礼門院と阿波内侍の像も安置されている。
なお、新しい本尊像は財団法人美術院国宝修理所によって3年半をかけて制作され、2005年に完成した。ヒノキ材の寄木造で、旧本尊の新造時の姿を忠実に模している。建礼門院と阿波内侍の像は、もともと張り子像であったが、今回木造で作り直された。
(Wikipediaより抜粋)



諸行無常の鐘楼。



千年姫小松も火事の影響で枯れてしまった。



建礼門院徳子を祀った大原西稜が寺のすぐ隣にあった。



天皇家ゆかりの人物なので宮内庁の管理となっている。

OMAKE 

三千院の紅葉と寂光院の紅葉の比較
三千院の紅葉、スリムな小さい葉だ。



寂光院の紅葉、こちらの方がふくよかな感じ。

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