2008年 善峯寺 その1


京都市西京区大原野にある善峯寺・多宝塔(重要文化財)


2008年9月29日から30日にかけて再び京都へ。今回は京都西山にある山寺、善峯寺(よしみねでら)を訪れた。修学旅行で来るような寺では無いため、マイナーではあるが、人里離れた山寺としてはなかなかの寺である。とくに有名なのはもみじ。秋の紅葉の時期はここまでの狭い郊外の道や山道が観光バスやマイカーで大渋滞になるとのことである。9月29日は平日に加え、雨ときたので参拝客はほとんどおらず、貸し切り状態であった。なお、サブタイトルを「善峯寺その1」としたのは、紅葉の時期に再来山する予定があり、紅葉のUPを目論んでいるため。

善 峯 寺

 善峯寺は、十一世紀の前半に源算上人がこの地に小堂を建て、自作の十一面千手観音をまつられたのに始まります。観音信仰の高まりとともに早くからその霊場として栄え、創建まもない長元七年(1034)に後一条天皇 から「良峯寺」の寺号と聖詠をたまわって以来、歴代天皇の崇敬あつく、中世 には「西山宮」と称する門跡寺院となり、五十あまりもの堂塔を有する大寺院となりました。

 しかし、応仁の乱(1467~77)の際に兵火を受けて焼け、現在の諸堂の多くは、江戸時代に徳川五代将軍綱吉の母である桂昌院の援助によって再建されたものです。

 元和七年(1621)再建の多宝塔は、現存最古のもので、重要文化財に指定されています。文化財としては鎌倉時代の画で大元帥明王軸がありますが、これも重要文化財に指定されています。京都府指定の文化財としては「善峯寺曼荼羅二幅」があります。また、多宝塔の前にある樹齢六百年の五葉松は 「遊龍の松」の名で呼ばれ、国の天然記念物に指定されています。
(善峯寺HPより抜粋)

京都の中心部を西へ進み、国道171号線の桂川に架かる橋を超えると向日市(むこうし)に入る。国道をしばらく走って左側にステーションパーク向日市や向日町簡易裁判所がみえたら交差点を右折。道は真っ直ぐでは無いが基本的には道なりで行けば大原野に入る。目標は「よしみねゴルフクラブ」で、ここを過ぎれば一本道なので迷うことは無いはず。やがて道は山道となり、ところどころ狭小なところもあるので対向車には充分注意しよう。
善峯寺第2駐車場(とくに看板は見あたらず)。この300mほど先に有料駐車場(500円)があるが、ここならオフシーズンは無料。ちなみにこの日は貸し切り状態。



上の方へ向かってしばらく歩くと右手にこの橋がある。善峯寺への近道ではあるが、かなりの急坂なので高齢者にはきついかも。



ジグザグな坂道を息を切らして10分ほど歩くと東門に到着。



善峯寺山門。ここで入場料500円也を支払う。なお今回の撮影はコンデジなのでレンズに収まらないシーンがしばしばあり。



観音堂(本堂)。1692年に再建されたもの。ちなみに善峯寺は西国二十番札所であり京都洛西第一番の札所でもある



本堂から一段上がったところにある天然記念物「遊龍の松」。樹齢600年の五葉松で、元々は54mあったが平成6年、松食い虫の被害にあい現在は15mとのこと。



釈迦堂に上がる石段。ちょっと三千院に似ている鴨。



もみじの一部はすでに紅葉がはじまっていた。



奥の院薬師堂からの眺め。天気が良ければ京都の街が一望に。



薬師堂の裏には庭園があり四季の花が咲いていた。



こちらのもみじも一部が紅葉していた。11月は大変なことになりそう。



雨のためもみじの枝が垂れ下がった結果、もみじをくぐって歩く



青蓮の滝。ここにも紅葉したもみじが。



阿弥陀堂への通路。枯葉1枚無し。

OMAKE

玉の輿とは?

薬師堂の手前に「けいしょういん殿」というお堂がある。



徳川五代将軍綱吉の母、桂昌院の像。昭和62年建立



桂昌院稜もあり、遺髪が納められている。(遺骨は東京の増上寺)

桂昌院について

 桂昌院は二条家に仕えた本庄宗正の娘であるとされていますが、本当は京都の八百屋仁右衛門の娘で、 その名をお玉といいました。成長して三代将軍家光の側妾お万の方の侍女となり江戸へ下ったお玉は、秋野と名を変えて大奥で 働くようになりますが、やがて家光の寵愛を受けて徳松を安産します。

 家光の没後は黒髪を落として桂昌院となり、その子、徳松は舘林に封ぜられて綱吉となるのです。 四代将軍家綱には子供がなかったため、その没後、綱吉が五代将軍となり、桂昌院は将軍の御母堂 として江戸城へ迎えられます。

  何不自由のない身分となった桂昌院は、幼いころのゆかりの善峯寺のため、特に心をひかれたので しょうか、住職の願いは次々と実現し、それらは建築として、また仏像、宝物として今に伝わってい るのです。 桂昌院は宝永二年(1705) 七十九歳で亡くなりますが、当寺ではその恩に報いるため に遺髪を境内に納め、桂昌院廟としておまつりしています。
(善峯寺HPより抜粋)

という訳で、八百屋の娘から将軍の妻、そして将軍の母親になるなど、女性ならではの大出世のことを「玉の輿」って言うんですね。

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