2008年 広隆寺・京福電鉄嵐山線・嵐山・淀城

嵐山渡月橋。


2008年11月10日から11日にかけて再び京都へ。今回は広隆寺、嵐山、そして淀城を見て回った。

広 隆 寺

広隆寺 (こうりゅうじ)は、京都市右京区太秦(うずまさ)にある真言宗御室派の寺院。山号を蜂岡山と称する。蜂岡寺(はちおかでら、ほうこうじ)、秦公寺(はたのきみでら)、太秦寺などの別称がある。帰化人系の氏族である秦(はた)氏の氏寺であり、平安京遷都以前から存在した、京都最古の寺院である。国宝弥勒菩薩半跏像を蔵することで知られ、聖徳太子建立七大寺の一つ。
(Wikipediaより抜粋)

アクセス

京都の街の中央部に阪急四条大宮駅(地下駅)があるが、そこに京福電気鉄道嵐山線の始発駅(地上駅)がある。電車1輌だけの軽便鉄道だが、嵐山方面にゆくにはまことに便利な交通手段で、運賃も全線200円とリーズナブル。信号で停車したり、渋滞にすぐはまってしまうバスよりずっと早い。広隆寺は京福電鉄四条大宮駅から5つ目の太秦広隆寺駅で下車、寺は駅のすぐ目の前にある。

広隆寺南大門、駅の50mくらい先にある。



南大門を入った境内、紅葉がきれい。



重要文化財の講堂、国宝の阿弥陀如来座像などがある。



地蔵堂、弘法大師が製作した腹帯地蔵尊が祀ってある。



本堂、正しくは上宮王院太子殿。本尊は聖徳太子である。



全域が重要文化財に指定されている。



本堂の前はこんな感じで、主な建物はこれで終わり。



新霊宝殿、国宝第1号に指定された弥勒菩薩像はこの中にある。(写真撮影禁止)



弥勒菩薩像のポスターを撮影、正式名は「弥勒菩薩半跏思惟像」
広隆寺は京都が都になるはるか以前に聖徳太子が建立した古い寺なので最初からここにあったかどうか解っていない。過去、何度となく火災に遭い、寺としては伽藍も無く、塔も無く、経堂も無い不完全なものだが、この弥勒菩薩像をはじめ多くの仏像が保存されており、国宝は20点、重要文化財に至っては48点を数える。
ということで、広隆寺は寺というより博物館に近い存在である。

京福電鉄嵐山線・嵐山

この日の夕食は午後6時に予約してあり、時間があったので何度も行ったことがある嵐山へ電車で行ってみることにした。

京福電鉄嵐山線、太秦広隆寺駅。



ホームに民家の玄関がある!



東映太秦映画村は広隆寺の裏にあり、駅にもこんなポスターが貼ってあった。



こんなクラシック風の電車も走っている。



一部は路面電車となっており、貴重な市民の足として活躍している。



嵐山線の終点、京福電鉄嵐山駅。



駅のホームにはなんと足湯が!(別料金)



おなじみ渡月橋、夕方だったので紅葉の発色がいまいち。



桂川沿いの土産物街、まだ午後4時30分だというのに灯りがまぶしい。



しばらく閉鎖されていた美空ひばり館が再開されていた。(まだ入ったことは無い)

淀 城

淀城は戦国時代、豊臣時代、そして徳川時代と三つの存在が確認されている城で、現在城址としてあるものは徳川時代のものである。
徳川幕府によって築城された淀城は、旧伏見城の廃材や二条城天守などを転用し築城された。三川合流地の中州を干拓し、淀三町と呼ばれる城下町を形成。北の納所地区と南の八幡地区とは、淀小橋・淀大橋でつながれ、城下町の周囲は三川の水に囲まれ、河中の城であった。城下町を貫通する形で京街道が設定され、淀城大手門はこの京街道に面して設置された。淀城はこの中州の西部を指すが、中州自体が大きな水堀であり、古代中国の都城のような構造を持っていた。
幕末、旧幕府軍は鳥羽・伏見の戦いに敗北して淀城に籠もろうとするが、淀藩に拒絶される。しかし、淀城がこのような構造である以上、籠城となれば新政府軍にとって脅威となったであろう。
戦後、淀藩の消滅に伴い、早くから淀城は廃城となる。淀城東部にあった巨椋池の干拓によって地形が大きくかわり、本丸の一部を除いてすべて破壊された。さらに、本丸北西部を京阪電気鉄道が貫通するに及び、淀城の消滅は必至となるが、史跡指定によってようやく保存運動が高まり、今日は本丸周辺の整備が進み、開発の手を免れた石垣及び堀が保存されている。
(Wikipediaより抜粋)

アクセス

電車で行く場合は京阪電車に乗り、東福寺から9番目の淀駅で下車、駅の前に稲葉神社があり淀城址はその後側。車の場合は大山崎ICを降りて左折してすぐ右折、天王山大橋を渡ったら京守交差点を左折、淀駅方面の標識があったら右折して適当な駐車場を探して駐車する。(専用駐車場は無い)

淀城址の石碑。



天守閣跡と城のいわれを書いた立て札。



内堀の一部が保存されている、堀の向こうは京阪電鉄・淀駅。



一部が児童公園やゲートボール場となっている。



駅の近くは自転車やバイクの駐輪場となっている。



徳川時代の淀城の見取り図。桂川、宇治川、木津川に挟まれた戦略上絶妙な位置にあるのがわかる。Wikipediaの解説にもあるとおり、廃藩置県で消されてしまった城の一つといっても良いだろう。

OMAKE

JRA菊花賞レースが開催される京都競馬場を外側から撮影する。写真はメインスタンドだが愛称名はビッグスワン。



競馬場中央の池には確かに白鳥がいた。なお、筆者は一切ギャンブルはやらないので、中に入ったことは無い。

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