2009年 伏見桃山城・伏見桃山陵・琵琶湖ほか

伏見桃山城大天守閣・1964年に建てられた城だが、なかなか立派


2009年1月26日から27日にかけて再び京都へ。今回は伏見にある伏見桃山城と明治天皇が眠る桃山陵へ行く。なお、2003年から続いた京都や関西方面の記事はたぶん、これで最終回です。

伏見(桃山)城

伏見城は豊臣秀吉によって、自身の隠居後の居所として造られたものが初めである。歴代3度にわたって築城され、初めに指月山に造られたものを指月山伏見城、震災後に木幡山に移されたものを木幡山伏見城などと区別される。さらに、木幡山伏見城は創建時である豊臣期と、関ヶ原の戦災後に再建された徳川期のものに分けられる。
秀吉の死後、その遺言によって豊臣秀頼大坂城に移り、五大老筆頭の徳川家康が代わってこの城に入り政務をとった。関ヶ原の戦いの際、家康の家臣鳥居元忠らが守っていたが、石田方に攻められ建物の大半を焼失している(伏見城の戦い)。なお、立てこもっていた徳川家の家臣達が自刀した建物の血痕の残る床板は、京都市の養源院など複数の寺に供養も兼ねて天井板に再利用されており、血天井として現在でも生々しい血痕を見る事が出来る。後に、家康によって再建され、廃城後はその建造物及び部材が各地に転用・移築されている。
現在見られる花畑跡の模擬天守は岡山池田氏に伝わる洛中洛外図屏風に描かれているものをモデルとしたものだが[要出典]、史実には直接の関係はない。
(Wikipediaより抜粋)

アクセス

鉄道の場合は京都駅からJR奈良線に乗り換え桃山御陵前駅下車、徒歩20分。又は京阪本線伏見桃山駅下車、徒歩25分。マイカーの場合は京滋バイパスを宇治東ICで降り、標識に従って3回右折をして京滋バイパスの下の道を久御山方面へ進む。しばらく行くと国道24号線(奈良街道)交差点になるのでここを右折、しばらく進むと宇治川を渡るが、そこから2つ先の「御香宮前」信号交差点を右折、JRの踏切を渡って最初の信号交差点を左折する。

住宅街の坂道は途中に右折する場所が2カ所あるが、上へ上へとゆけばこの門が見えてくるはず。かつてここが伏見桃山城キャッスルランドの駐車場だった名残。伏見桃山城キャッスルランドについては以下のとおり。

伏見桃山城キャッスルランド(ふしみももやまじょうキャッスルランド)は、かつて京都府京都市伏見区にあった近鉄グループ近畿日本鉄道子会社の株式会社桃山城が運営)の遊園地である。
1964年にオープン。敷地面積は約10万平方メートル。伏見城をイメージした模擬天守鉄筋コンクリート構造)とジェットコースターゴーカートなどの遊戯施設およびプールなどがあった。
年間入場者は、ピークの1978年には約100万人近くいたが、その後は下降線を辿った。USJ大阪市)のオープンなどレジャーの多様化や少子化などで入場者数が減少したため、営業継続は困難と判断され、2003年1月31日で閉鎖した。跡地は京都市により運動公園として整備されたほか、解体予定だった模擬天守は地元の要望もあり残されることとなった。
(Wikipediaより抜粋)

公園なんだから無料かと思ったら有料。収益は公園の維持費にあてられるそうだ。



駐車場に停めたBLと伏見桃山城の大手門、そして奥には小天守と大天守がそびえている。



左が伏見桃山城小天守閣、右が大天守閣。耐震基準を満たしていないということで、残念ながら内部は非公開だが、ときどき映画のロケには使われているとのこと。



鉄筋コンクリート造りとは思えない立派なつくりである。



以前、遊園地のあった場所は野球場及びサッカーグラウンドとなり、市民に活用されている。

伏見桃山城考

豊臣秀吉は1596年に現在の桃山御陵の場所に伏見城を再建するが、その2年後に城内で亡くなっている。さらに2年後関ヶ原の戦いが勃発し、その戦いに絡む伏見城の戦いにより城は焼失している。たった4年しか持たなかった実際の伏見城と較べ、現在の伏見桃山城はすでに45年持っている。なかなか立派なできばえで、壊さなくて良かったと思う。まあ、このまま200年持たせれば、ゆくゆくは重要文化財か国宝になるのでは。

伏見桃山陵

明治45年(1912年7月30日明治天皇が崩御。同年(大正元年)9月13日に東京・青山の帝國陸軍練兵場(現在の神宮外苑)にて大喪の礼が執り行なわれた後、9月14日に埋葬された。
古式に範を採ったとされる上円下方式で、墳丘にはさざれ石が葺かれている。すぐ東には昭憲皇太后伏見桃山東陵(ふしみももやまのひがしのみささぎ)が隣接する。
敷地は豊臣秀吉の築いた伏見城本丸跡地で、京都に墓所が営まれたのは明治天皇の遺言によるものという。周囲一帯は宮内庁の管理地となっており、京都市南西部から旧山陽道、旧西海道地域の陵墓を管理する宮内庁書陵部桃山陵墓監区事務所がある。
墳丘は、上円下方墳で、下段の方形の一辺約60メートル、上円の高さ6.3メートル。方形の墓坑を掘って内壁をコンクリートで固め、その中に棺を入れた木槨を納めた。槨内の隙間には石灰を、石蓋をしてコンクリートで固めた。上円下方墳の墳形は天智天皇陵がモデルにされたという。幕末孝明天皇についで火葬にせず、天武天皇以前の古制に戻した[1]
大正天皇以降の天皇・皇后の陵は東京都八王子市に作られたため、近畿地方以西に作られた最後の天皇陵である。
(Wikipediaより抜粋)

伏見桃山城駐車場を出て100m位行ったところを左折、坂道を10分ほど下ると写真の場所に出る。これが西参道。なお、写真は伏見の町の方を撮している。



上の写真の鉄扉の右側にある石碑がこれ、行かなかったが桓武天皇の陵もこの先にある。



伏見桃山陵へ向かう西参道。もちろん車馬通行止め。



歩くこと15分ほどで伏見桃山陵到着。柵から内部は立ち入り禁止。



アップ写真。上の解説のとおり上円下方墳となっており、さざれ石が積んである。なお、この陵から東へ行くと、明治天皇皇后の伏見桃山東陵があるが、時間の都合で行けなかった。

琵 琶 湖

前日、京都へ行く途中、高速代の節約のため、またまた琵琶湖を通過する。写真は草津市の「さざなみ道路」に設けられた駐車場から見たびわ湖バレイ方面。もやっていて分かり難いが雄琴温泉が見える(はず)。



比叡山もよく見えた。




大津市中心部には高いビルがいくつも。



琵琶湖と言えば問題になっているのが外来魚。生態系を壊してしまうブラックバスなどの外来魚を持ち込まないよう、こんな回収ボックスがあちこちに設けられている。

OMAKE

京都東山ドライブウェイにある展望台から見た京都の街。京都タワーと東本願寺の大きな修理屋根が目立つ。京都の街もこれでしばらく見納めとなるので、よーく目に焼き付けておいた。

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