ハ ワ イ  く る ま 事 情 2012

2012/06/29~07/03 アメリカ合衆国ハワイ島にて

コナの裏町で見かけたクラシック・アメ車。まるで「アメリカン・グラフティ」の世界から抜け出してきたよう。

プロローグ

アメリカ合衆国の主たる自動車メーカーは、ビッグ3と呼ばれるGM、フォード、クライスラーであり、長きにわたってアメリカ主幹産業の地位を占めてきた。自動車を発明したのはベンツだが、それは貴族やブルジョワの乗り物であり、大量生産により自動車を大衆のものにしたのはフォードである。GMに至っては2008年にトヨタにその座を明け渡すまで77年間、自動車生産世界一であった。
しかし、アメリカの金融危機を発端とする世界的不況の影響から、クライスラーは2009年4月、GMも2009年6月に連邦倒産法第11章の適用を申請し、アメリカ政府がクライスラーには5億ドル、GMには50億ドルを融資する民事再生手続きに入る。
GMの負債総額は1,728億ドル(約16兆4100億円)。この額は製造業としては世界最大である。今後はアメリカ政府が60%、カナダ政府が12%の株式を保有し、実質的にアメリカ政府により国有化され再建を目指す。メディアから社名のGMは“ガバメント・モーターズ”と皮肉られたが、2011年になんとか財政再建に成功する。
クライスラーは全米自動車労働組合(UWA)が55%、フィアットが20%、アメリカ政府が8%、カナダ政府が2%の持ち株比率の会社となり、GMより早く財政再建をはたした。フォードはそこまでには至らなかったが、マツダ株の売却、ボルボの売却、マーキュリーブランドの廃止など実行し、危機を切り抜けた。
Wikipediaより抜粋

ハワイ島で見たくるま達

ハワイは合衆国の州なので、もちろんアメリカ車が一番多いのだが、グアムやサイパンを除くと、アジアに最も近いせいか日本車や韓国車が目立つ。アメリカ車を除いて一番多く眼にするのはトヨタ車、ついでホンダ、ニッサンなど、韓国車もヒュンダイ、キアが確実に増えてきた。
ダラーレンタカーにはコンパクトカーとのみ希望を出しておいたが、今回レンタルしたのはキア・ソウル(KIA・SOUL SEOULでは無い)という名の、2008年に韓国・キア自動車から発売されたサブコンパクトカー。直4、 2.0 L のFF車。デザインはカルフォルニア州のキアデザインセンターなのだが、どう見てもニッサン・キューブかトヨタBBのパクリ。



ダルなハンドル、甘めのブレーキ、フワッとした乗り心地を持つ、なんともブサイク(失礼!)なくるまだが、2Lエンジンのパワーで直線の多いハワイ島の道を、そこそこに走ってくれた。



キア・スポーテージという名のSUV車。写真のキアはは2010年に出た3代目。



ヒュンダイ・ソナタ、2010年8月のアメリカ市場の中型セダンではトヨタ・カムリ、ホンダ・アコードに次ぎ20000台以上のヒット車。



シボレー・ソニック(アベオ)、これに乗ってみたかった。



現行シボレー・カマロは5代目となる。



フォード・エクスプローラー、4代目。



T型フォード以来の大ヒットを飛ばした、マスタングは2004年に6代目で初代帰りする。写真はコンパーチブル



第2次世界大戦で登場したウィリス・ジープの流れをくむクライスラー、ジープ・ラングラー



ラングラー・アンリミテッド。ラングラーのホイールベースを伸ばした4ドア版。どちらもレンタカーと思われるが、レンタカー走行規制道路の多いハワイ島にはうってつけかも。



トヨタ・タンドラは、アメリカの家庭に一台はあるフルサイズ・ピックアップなのだが、アメリカ車メーカー≒アメリカ政府を刺激しないよう、わずかに小さいサイズでインディアナとテキサスにある工場で作られている。



ニッサン・アルティマ、直4・2.5LorV6・3.5Lのスペックを持つ北米専用車で、アメリカで最も売れているニッサン車。



レクサスRX(トヨタ・ハリアー)。高級クロスオーバーSUVというジャンルを造ったくるま。たぶんカナダ製。



コナの波止場に駐車中のトヨタ・タンドラ・ダブルキャブ。すっかりアメリカになじんだピックアップトラック。



初代トヨタ・タコマ(ハイラックス)。トヨタのピックアップトラックへの進出はこの車から始まった。写真のタコマはリフトアップと呼ばれる改造車。アメリカではこんなのが、ごろごろ走っている。



ハワイのツアーではお馴染みのフォード・Eシリーズと呼ばれる15人乗りのコマーシャルバン、4WD仕様。これでワイピオ渓谷に降りる。



ドライバー兼ガイドさんはブルース・リー似のアジア系のお兄さん。ときおり徒歩で坂道を降りて行く観光客をよけながら、慎重に谷を下ってゆく。



谷には小川が何本も流れているが橋は架かっていないので、そのまま川渡りとなる。一般車はここでアウト。



特別サービスとやらで、何とサイドドアは開けっ放しで走行! 川の真ん中では一時停止し、シャッターチャンスを造ってくれた。



後から川を渡ってやってきたのはトヨタ・セコイア。ランクルと4ランナー(ラブ4)の間を埋めるSUV車。



帰路、最大傾斜角度25度の急坂を駆け上るフォードバン。5L位あると思われるV6エンジンがうなる。



ホノカアからヒロへ向かうR11で、後にシボレー・コルベット(C3型・1970年代)などのクラシックカーに付かれる。写真はバックミラー越しに撮影したもの。なんじゃこりゃ~!



初代シボレー・カマロ、1969年頃のモデル。



さすがにこの位、古くなるとメーカー、車名等は不明。しかし綺麗に乗っている。後でWEBで調べると6月30日にコナでハワイ州のクラシックカー愛好家の祭典が開催された模様。1州だけで、これだけお金のかかった車が集まるとは、さすがUSAである。

エピローグ

1991年に発売されたSUBARU・SVXをコナの町で見かける。日本名はスバル・アルシオーネSVX。デザインナーはジョルジェット・ジウジアーロ。日本ではとんと見かけなくなった旧車だが、ハワイ島でお目にかかるとはびっくり。
意欲的なスタイリングコンセプトとメカニズムを持った同車であったが、登場時期がバブル景気終焉期であったことも重なり、高級車(特に2ドアクーペなどのスペシャリティモデル)市場の冷え込みと、スペシャルティカー市場での顧客からみたブランドイメージの齟齬の要因もあり、販売面では苦戦を強いられた。そしてレガシィの大ヒットにより、スバルのイメージリーダーカーとしてのアルシオーネは役割を果たされたとし、生産ラインをフォレスターに譲り1996年12月、生産終了となる。日本国内販売台数は生産終了までの期間でわずか5,884台[2]、海外輸出分を含めた総生産台数は23,750台ほど。
Wikipediaより抜粋
2012年にスバルBRZが誕生するまで、スバル最後のクーペ車とも、トヨタ・ソアラと並んでバブルの象徴とも言われてきたが、アメリカの片田舎(これまた失礼!)で、しかもこのように綺麗な姿のまま生き残っていることには驚きというより感動すら覚えた。フランスに続きアメリカも、くるま先進国であることを確信したchiaki-kであった。

2012.07/17 chiaki-k 記す    


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