2012/10/01~10/05(移動日を除く)まで南イタリアへ。イタリア(中部)へは2002/12に一度行ったことがあり、あれから40年・・・は経っていないが、多少の変化はあったかどうか興味があった。
南イタリアも10年前と同様ドイツ車が多く、地域特性としては、南イアタリアは高所得者が少ないせいか高級車はあまり見かけなかった。むしろ良く見かけたのがアペと呼ばれる軽三輪トラック。100%イタリア製なのだが、ジウジアーロが手を加えていたとは知らなかった。
写真はサレルノの海岸通り。岩山の中腹を横切る道路はアウトストラーダA3号線。左へ行けばナポリ、右はレッジョ・カラブリアまで続いている。ん、左端にアペが半分写っている。
10/02 13:30-15:30まで、サレルノ→A3→E847→ポテンツア→E847→フェランデナまでの約200km区間で、バスを追い抜いた、又は追い越した乗用車をカウントする。
メーカー | 車種 | 台数 | メーカー | 車種 | 台数 |
フィアット | 500 | 0 | ルノー | メガーヌ | 2 |
フィアット | パンダ | 2 | プジョー | 208 | 0 |
フィアット | プント | 3 | プジョー | その他 | 2 |
フィアット | ムルチプラ | 3 | シトロエン | C1 | 0 |
フィアット | その他 | 5 | シトロエン | C3 | 1 |
ランチア | エプシロン | 0 | シトロエン | その他 | 0 |
ランチア | その他 | 0 | - | - | |
アルファロメオ | ジュリエッタ | 0 | ローバー | - | 0 |
アルファロメオ | 147 | 5 | ランドローバー | - | 0 |
アルファロメオ | その他 | 1 | ボルボ | - | 0 |
マセラッティ | - | 0 | - | - | |
フェラーリ | - | 0 | その他ヨーロッパ車 | - | 0 |
- | - | - | - | ||
M・ベンツ | A | 2 | フォード | フォーカス | 0 |
M・ベンツ | B | 1 | フォード | その他 | 8 |
M・ベンツ | C | 1 | - | - | |
M・ベンツ | E | 0 | ヒュンダイ | - | 0 |
M・ベンツ | その他 | 3 | ヒュンダイ | - | 0 |
BMW | 1 | 1 | キア | 全車種 | 1 |
BMW | 3 | 0 | ルノーサムスン | SM5 | 1 |
BMW | 5 | 0 | サンヨン | - | 0 |
BMW | X | 3 | - | - | |
BMW | mini | 0 | トヨタ | ヤリス | 2 |
BMW | その他 | 1 | トヨタ | アヴェンシス | 1 |
アウディ | A3 | 4 | ニッサン | - | 0 |
アウディ | A4 | 1 | ニッサン | - | 0 |
アウディ | A6 | 0 | ホンダ | - | 0 |
アウディ | Q | 1 | マツダ | デミオ | 1 |
アウディ | その他 | 3 | スズキ | スイフト | 1 |
VW | ポロ | 1 | スズキ | - | 0 |
VW | ゴルフ | 2 | スバル | - | 0 |
VW | パサート | 1 | 三菱 | - | 0 |
VW | トァレグ | 1 | レクサス | - | 0 |
VW | その他 | 0 | ダイハツ | - | 0 |
オペル | コルサ | 1 | |||
オペル | アストラ | 1 | 車種不明車 | 1 | |
オペル | その他 | 0 | |||
ポルシェ | - | 0 | |||
イタリア車19台に対してドイツ車は28台ということで、2003年に引き続きドイツ車の勝利。その他ではフランス車は5台、イギリス車は0台、アメリカ車は8台、韓国車は2台、日本車は5台と惨敗。
道路の混雑状況であるがA3号線はまあまあだったがE847に入ってから交通量がガックリ減り、対向車もたまにしかこない状態、さらに道路工事でしばしば片側1車線をしいられる箇所も多く、正確さに若干欠けるが参考データとして見てほしい。
10/03 10:00-15:00まで、ターラント→E90→シバリ→A3→コセンツア→サン・ジョバンニまでの約400km区間で、バスを追い抜いた、又は追い越した乗用車をカウントする。
メーカー | 車種 | 台数 | メーカー | 車種 | 台数 |
フィアット | 500 | 1 | ルノー | メガーヌ | 1 |
フィアット | パンダ | 7 | プジョー | 208 | 1 |
フィアット | プント | 6 | プジョー | その他 | 2 |
フィアット | ムルチプラ | 0 | シトロエン | C1 | 1 |
フィアット | その他 | 8 | シトロエン | C3 | 2 |
ランチア | エプシロン | 1 | シトロエン | その他 | 3 |
ランチア | その他 | 6 | - | - | |
アルファロメオ | ジュリエッタ | 1 | ローバー | 全車種 | 1 |
アルファロメオ | 147 | 3 | ランドローバー | 全車種 | 2 |
アルファロメオ | その他 | 1 | ボルボ | 全車種 | 3 |
マセラッティ | - | 0 | - | - | |
フェラーリ | - | 0 | その他ヨーロッパ車 | セアト他 | 5 |
- | - | - | - | ||
M・ベンツ | A | 2 | フォード | フォーカス | 2 |
M・ベンツ | B | 3 | フォード | その他 | 4 |
M・ベンツ | C | 3 | |||
M・ベンツ | E | 2 | ヒュンダイ | サンタフェ | 1 |
M・ベンツ | その他 | 2 | ヒュンダイ | その他 | 1 |
BMW | 1 | 0 | キア | 全車種 | 3 |
BMW | 3 | 1 | ルノーサムスン | - | 0 |
BMW | 5 | 2 | サンヨン | ロディオス | 1 |
BMW | X | 1 | - | - | |
BMW | mini | 1 | トヨタ | ヤリス | 3 |
BMW | その他 | 1 | トヨタ | アヴェンシス | 0 |
アウディ | A3 | 2 | ニッサン | ミクラ | 3 |
アウディ | A4 | 3 | ニッサン | キャシュカイ | 4 |
アウディ | A6 | 1 | ホンダ | - | 0 |
アウディ | Q | 0 | マツダ | - | 0 |
アウディ | その他 | 4 | スズキ | スイフト | 0 |
VW | ポロ | 2 | スズキ | エスクード | 1 |
VW | ゴルフ | 2 | スバル | レガシィ | 1 |
VW | パサート | 0 | 三菱 | - | 0 |
VW | トァレグ | 1 | レクサス | - | 0 |
VW | その他 | 7 | ダイハツ | - | 0 |
オペル | コルサ | 1 | |||
オペル | アストラ | 3 | 車種不明車 | 7 | |
オペル | その他 | 5 | |||
ポルシェ | - | 0 | |||
イタリア車34台に対してドイツ車は49台ということで、またまたドイツ車の圧勝。その他ではフランス車は10台、イギリス車は6台、アメリカ車は6台、韓国車は6台、日本車は12台という結果。10年前と比較すると韓国車の出現、日本車の大健闘といったところか。
ターラントからシバリまでは一般国道なので、カウントは主にA3号線で行った。しかしこちらも道路は空いており、しかも道路工事箇所がひんぱんに現れ、期待より若干寂しいデータとなった。
10/01 ナポリのホテル前。これから5日間お世話になったのがこのバス。MAN(マシーネンファブリク・アウクスブルク・ニュルンベルク)という名のドイツ製のバス。横3列、27人乗りのVIP仕様で快適だった。なお、バスの中で後を向いているのがドライバーのアンジェロさん。サレルノに住む、陽気なお兄さんだった。
ナポリ市内、朝のラッシュアワー。
カプリ島マリーナグランデにいた不思議なオ-プンカー。
よーく見ると、なんとニッサン・旧セレナの改造車だった。
カプリ島内の道路は狭小なため、こんなコミューターが走っている。
フィアット500(3代目)はイタリアのエスプリカー。これはアバルト・バージョン。
マリーナグランデにあった標識が、なんともイタリア~ン。
10/02 アマルフィへの道。まるで路地のようだが、これで幹線道路。なお、右側の崖は窓ガラスのいたずら。
アマルフィの公共バス。フィレンツェでも見たような。
ポテンツア近くのSAにあったGS。燃料の種類が解らないが 1.797E~1.897Eとある。1L当たりだとすると結構な値段だ。
世界遺産マテーラ旧市街地区には車が入れるばかりか、ちゃんとした駐車場まである。ナポリやパレルモ市街よりよほど良い。
古い建物と新しい車が共存する風景もまた良い鴨。
10/03 アルベロベッロのホテル前に駐まっていたフィアット・パンダだが、ライト回りが違うので姉妹車かも。
アルベロベッロ旧市街の広場に駐まっていたスズキワゴンR。ただしシボレーバージョン。
フィアット・プント(2代目)も良く見た。
ジウジアーロデザインのシボレー・マチス(M200・GMデウ製)はヨーロッパで大ヒット。
フイアット・パンダ(初代)。これもジウジアーロだったっけ。
ニッサン・キャシュカイ(デュアリス)。イギリス製。
ルノー4(カトル又はキャトル)はシトロエン2CV(ドゥセボー)と並ぶフランスのエスプリカー。
シバリのドライブインにあった屋根付きの駐車場。南イタリアの強い日差しから車を守る良いアイデア。
イタリアの道路標識。一般道は青。
アウトストラーダは緑。日本と同じく有料道路。そういえば名神高速道路はアウトストラーダがお手本だった。
サン・ジョバンニ手前のSA。店で販売しているものは日本と似たようなものだが、ワインも普通に売っていた。さすがイタリア。
サン・ジョバンニ手前の道路工事現場。今の道の左側に新しい道を造っている。しかし、ギリシャの次はスペイン、スペインの次はイタリアが危ないといわれているのになんという大盤振る舞い。今のイタリアに必要な政治家は陰険ではあったが、質素倹約で鳴らした古代ローマ皇帝ティベリウスかも知れない。
タオルミーナのホテル前に駐まっていたフィアット500(2代目)。チェッカー模様のキャンバストップが お・さ・れ。ナポリ出身のタレント、ジローラモさんの説によると最初の500はシートが固定だったが、MC(マイナーチェンジ)でシートが後に倒れるようになってからベビーブームになったとか。(^^;;
サン・ジョバンニのフェリー乗り場にて。我々のバスの前にトヨタ・RAV4が。
シチリア島、メッシーナの街。路面電車発見。
10/04 タオルミーナ旧市街で見たフィアット500(3代目)。まるでCFのよう。
タオルミーナA18・IC入口。TELEPASSとは日本のETCのこと。10年以上前からあった。
とあるIC出口。Tは普通のチケットで現金払いか、右側はCARTEつまりクレジットカード専用。結構複雑。
A20からチェファルへ降りて行くランプウェイ。う~ん、こんなに大金を掛けなくても良いのでは。
チェファルのドゥオーモ前広場に駐まっていたレクサスRX400h。シチリアではかなりの高級車。
10/05 パレルモのホテル前のミニ広場に駐まっていたトヨタ・アイゴー(海外専用車)。
そして、トヨタ・ヤリス(初代ヴィッツ)。
ホテル前にはミニ(2代目)。
三菱トライトンとはめずらしい。ちなみに Made in Thailand。
VWのニューカマー、VW・up !という名の1L・FF車も走っていた。VW・up!はルポの後継車となる車種でスロバキア製。2013年にはVW初のEV車となる予定。
パレルモの街を行くパトカー(FIAT・グランデ・プント)(3代目)と白バイ。
マッシモ劇場前に勢揃いしたフィアット・パンダ、VWビートル、フィアット500。これがイタリアとドイツのエスプリカーなのか?(下に続く)
タオルミーナ旧市街で見たピアジオ・アペ。ん、スーパーマンマークが・・・
イタリアのエスプリカーといえば、フィアット500やパンダあたりかと思うが、私の考えるイタリアン・エスプリカーはこいつ。では、アペの歴史をスタート。
1948年、戦後の荒廃から復興を始めたイタリアでAPEの歴史はスタートした。すでにスクーターVESPAの生産と販売に手応えを感じていたPIAGGIO社は、従来のロバに引かせた荷車に取って代わる貨物用三輪車の生産を始めたのである。
APEは自動車免許なしでも運転できたため、誰でもAPEを仕事に使うことができた。復興が進み慢性的な労働力の不足に悩んでいた戦後イタリアの都市で、APEはまず小売商店などに受け入れられ、続いてAPEのボディを利用したミニタクシーや、移動販売車としての利用が始まった。やがてAPEはイタリア全土の都市に満ちあふれ、イタリア人の生活には無くてはならない存在となったのである。かつてのロバのように。
アルベロベッロで見たアペ達
- 中略 -
年月を経てさすがに売れ行きに陰りが見えてきたAPEであったが、1982年にジウジアーロのデザインでモデルチェンジを受けた。全面的に作り替えられたキャビンは、自動車なみの快適性を持ち、丸ハンドルが標準となった運転席にはシートベルトさえ備わっていた。エンジンはガソリン220ccのエンジンの他に、422ccのディーゼルエンジンが用意された。積載量はついに700kgに達した。
ジウジアーロのデザインとディーゼルエンジンは、APEの延命に大きく貢献したのだった。APEでなければ入れない路地もあるイタリアでは、今でもAPE TMとして現役のモデルである。
(geocities,jp/bajaj_web/history オート三輪APEの歴史より抜粋)
冒頭にも述べたが南イタリアは北イタリアと較べ工場らしい工場は無く、所得水準が低く、失業率は高く、イタリアのお荷物扱いの地域である。今回の6日間を通してフェラーリやマセラッティなどは一度も見ることは無く、ポルシェをどこかの街で一回見た位である。
その代わりといっては何だが、アペは至る所で見た。とくに山間の町や村、狭小な港町、アルベロベッロやパレルモなどの街角に佇むアペこそイタリアの原風景、と言ったら言い過ぎだろうか。
2012/10/18 chiaki-k 記す