上海・蘇州への道

上海のシンボル外灘


それは「上海の長い夜」だった。


97年はかみさんと娘がベルギー・オランダへ、そして私がグアムへと、すっかり海外旅行にはまりこんだ1年であった。
こうなると、ひとつ旅行が終わると、次はどこへ行こうか、ということになり、近くて手頃なところを物色しているうちに、何年か前にかみさんが読んだ「上海の長い夜」からヒントが入り、インターネットのJALPACKのホームページを見ているうちにJALPACK・AVA「チャイナ・エクスプレスのページが目に止まった。
上海・蘇州3日間で88,000円、食事付きという手頃なコース、しかも現地ガイド付きという内容であったので、これに決定。3日間では短すぎるので、1日延泊し4日とし、諸般の事情から出発日は2月7日(長野オリンピックの開会式の日!)に決め、JTBに申し込む。2月はシーズンオフとのことであっさりOKとなり、手続きを進めることとなった。


出  発


2月6日午後7時10分、車は一路成田を目指して出発した。
途中の道路は以外とスムーズで、ホテル日航ウィンズ成田へは10時40分に到着する。家に電話をしたあと、一風呂浴びてから成田空港の夜景を眺めながらビールを飲み、すぐ就寝した。
翌朝は6時に起床、7時にホテルの朝食をとり、7時30分のシャトルバスに乗り込む。7時50分、成田空港第2ターミナルのJALPACK・AVAカウンターにて受付をすませ、空港の売店や免税店などでショッピングをしたあとD94ゲートからJAL791便に乗り込む。飛行機に乗り込む途中のボーディングタラップで中国の若い皆さんが熱心に写真を撮っていたのが印象的。
飛行機は予定より5分ほど遅れ、10時15分にゲートを離れる。雲の上は快晴で(当たり前!)快適なフライトであった。
12時30分(現地時間は日本より1時間遅くなる)に上海虹橋国際空港に到着する。
人口1,500万人の街にしてはそれほど大きくないし、建物や施設も古い、あとでわかったが、現在浦東新区の先に新空港を建設中とのことであった。
入国審査は実に簡単、ただ職員の無愛想さが気になった。空港のトイレに寄ると男女どちらにも係員がいてジロッと見られたのがまたまた気になった。
無言、無言が多い。アメリカだったらハローとかサンキューくらい言うはずなのに。へんな国だな、と思いつつロビーに出るとガイドさんが我々を待っていてくれた。ガイドさんにつれられて駐車場まで行くと待っていたのはワーゲンのサンタナのニューモデルであった。ガイドさんに思わず「他の方は?」と聞くと「お二人だけです」とこともなげに言う。そういえばAVAのパンフレットには確かに2人以上実施と書いてあったが、まさか、ほんとうにそうなるとは驚いた。


一日目は始まった


ガイドさんの名前は「陸」さんという年のころ35歳程度の男性であった。車はあとでわかったが、「陸」さんの勤めている会社「上海航空国際旅行公司」の社用車であった。
上海日航飯店は空港から車で5分程度の所にある日航のホテルで、ランクは四つ星クラス・建物の作りや設備はまずまずといったところであるが、いかんせん街の中心部から遠いのが難点のホテルであった。
         上海日航飯店


1時間ほど休憩したあと2時30分に再び車で、第一の観光コースである豫園へと向かう。上海の街は今建設ラッシュで高層ビル・地下鉄・高速道路・大きな橋・新空港などが建設中であり、街中いたるところが工事中である。
車は左手に上海動物園を見て右折し高速道路へ入る。空港から気がついていたが車の運転手さん・かなり飛ばす人・でスリル満点である。上海体育館から先のジャンクションを車は左折し、一路豫園を目指す。高速を降り、市街地の道路へ入るがそこで見たものはおびただしい人の波と自転車、バイク、三輪タクシー、そして車が渾然一体となったなんとも形容のしようがない街であった。車道と歩道の区別は全く無く、人も自転車もバイクも車も好き勝手な所をうごめいている!たとえて言えば、新宿歌舞伎町の歩行者天国となった道の真ん中をクラクションをならしながら、人混みをかき分けかき分け進む数多くの車やバイクを想像してみてください。
さて、やっとのことで駐車場に車を止め、陸さんのあとについて豫園商場の中へ入っていくが、これまた人混みをかき分けないと前へ進まない状態。おかげで中国の皆さんとずいぶんスキンシップをしてしまった感じがした。
         豫園入口の門


    豫園の中庭でガイドの陸さんとかみさん


豫園商場の風景,ちなみに今は「春節」といって日本の旧正月にあたる


豫園は明の時代の一人の役人が建てた私庭で、それほど大きくない庭であるが数少ない上海の観光スポットとなっている。狭い空間をいかにして広く見せるかに工夫をこらした庭園である。豫園からふたたび 豫園商場へ出て適当に時間をつぶす。なお、中国の通貨は人民元といいレートは1元が約15円である(98年2月当時)。上海の一般のサラリーマンの給料が2,000元、つまり30,000円位だからホテルで両替するときは、このくらいあればいいだろうと30,000円しか両替はしなかった。(1,959元になった)−しかし、この見方は若干甘かった。
ガイドブックに乗っていた南翔饅頭店はご多分にもれず長い行列が出来ていて残念ながら4元16個の包子(陸さんは一口饅頭といっていた)はあきらめた。
5時に車で外灘へ、黄浦江の対岸にあるテレビ塔などを眺めながら徒歩で外白渡橋を渡り、夕食会場の上海大夏(この字ほんとうは違うが新体文字は日本語ワープロでは打てない)へ行く。途中壊れた信号機のある交差点を横断するが、陸さん曰わく「車は無視してください。自転車だけは気をつけて」!!!とのこと。
       外灘・夕景


上海大夏は上海料理のレストランで多少脂っこいものもあったが概ねおいしく食べられた。とくにチャーハンはおいしく、多分普通の観光客なら残すところを全部気合いでたいらげてしまった。チンタオビールは別料金で15元であった。
6時30分上海大夏から日航飯店へ車で戻る。高速から見る(そうそう、高速道路は無料)上海の夜景はなかなか見事だったが、なんせ車の飛ばすこと飛ばすこと、もースリル満点でゆったりと夜景を見ている暇もなかった。
前述したとおり、上海日航飯店は街から離れた場所にあるため、外へ出ても何にもないので夜の観光は残念ながら今回一切出来なかった。もしこの次に上海へ来るときは街の中にあるホテルにしよう。
ただ部屋にいても仕方がないので一風呂浴びた後、1Fにあるスナック、「コットンルーム」へ行きチンタオビールを飲み、かみさんはラーメン、私はチキンバスケットをたのんだ。メニューには確か日本風とあったのだが麺が全然違い、まるで太めのソーメンで、つゆも少なく、とうとう残した。支払いは260元ほどだったが、はっきり言って高い!スナックだった。


蘇 州 へ


2日目は7時に迎えがくるということもあり、4時に目が覚めてしまった。6時に起きて支度をし、6時30分に1Fのレストランに行き朝食バイキングを楽しんだ。和風・洋風・中華風ごちゃまぜで朝から小龍包が出ていたのには感激し、どっさり食べてしまった。
7時ちょうどに陸さん登場。又例の車に乗って上海駅へ。こんな早朝だというのに駅前はもう混雑していたが、我々が乗る軟座車(グリーン車)は駅の入り口から違っていて混雑は無かった。陸さんはホームまで送ってくれたが、ガイドはほとんどの観光地や駅はフリーパスになっているらしい。
列車の作りは一昔前の国鉄一等車といった感じである。ここで問題が発生した。かみさんと指定席が離れてしまったのだ。遠い昔、新婚旅行で乗ったノースウェストを思い出したが、誰かのホームページに中国では先に座った者が優先、の記事を思いだし、ずうずうしく座っていた。しばらくして、どうも韓国人らしい男の人がやってきたので事情を説明(といってもあやしげな英語で)したら気持ちよくOKしてくれた。
どこまでも続く中国の大地を車窓から楽しんだが、1時間で火車は(中国語で汽車のことを火車という)蘇州駅に到着、我々も他の皆さんと一緒に駅の改札口から外に出てた。しかし、ここでまた問題が発生、なかなかガイドさんに逢えないどころか、しつこい小父さんにつきまとわれてしまった。タクシーの客引きのようだったが、何を言っているのかさっぱりだったので「不要」・「不要」と言ってもまだついてくる。そういえば陸さんにはホームで待つようなことを言われていた。こりゃ困ったなと思っていたらそこへガイドさん登場、ホームで我々を探していたらしい。 
     蘇州ステーション


ガイドさんの名前は「洪」さんと言い、25歳位の若いお兄さんであった。車はなんとクライスラーのミニバン、中国まできてこんな車に乗ろうとはびっくりしたが、クライスラーは蘇州の街をゆっくり西へ走り出した。
地方都市とはいっても人口は90万人ほどあり、上海と違い歴史のある街である。最初に行った先は虎丘という場所でひとつの丘全体が公園のようになっていて中には寺もあったり、丘の上には塔もある。ただし、この塔、ただの塔では無い、中国版ピサの斜塔である。一時倒壊の危機もあったが、大改修の結果現在傾きは止まっているとのことであった。
虎丘の斜塔、手前のパラソルはフィルム屋さん


駐車場のトイレにかみさんが入るが、入り口のおばさんに2角(1角は1元の1/10)払った。中国関連の皆さんのホームページの記事で承知はしていたが、大便所にはドアが無く、仕切りがあるだけのトイレだったようだ。
次に行ったのが寒山寺、洪さんどんどん奥へ入っていくので付いて行くとなにやら掛け軸などがたくさん下がっている部屋へ案内されてしまった。部屋の中には年寄りの坊さんのような人が。名前は忘れたが寒山寺の貫首さんだという、洪さんいい記念になりますよ、とさかんに勧める。最初は3万円から始まったが、しぶっていると1万円(はて、人民元でなくていのか)でいいという、とうとう根まけして670元で1枚色紙を書いてもらった。


      鐘を突くかみさん


有名な鐘をついてから寺のすぐ前から遊覧船に乗った。蘇州はイタリアのベニスと姉妹都市になっている通り、運河の街て゛遠くは北京や広州までつながっているという。1時間位乗るかなと思ったら15分位で終わってしまった。昼まで時間があったので、刺繍の店に寄ってお茶など飲む。
        蘇州の運河風景


昼食はシルク博物館の隣にあるレストランだったがここの食事はいまいちであった。
食事の後シルク博物館へ入り、出口にあるみやげ店でハンカチなどを買う。次に行ったのが拙政園という大きな公園で蘇州の4名園のひとつとのこと、建物のひとつひとつにある文字や詩などを洪さん詳しく説明してくれたが、ぜんぶ忘れた。
  
   拙政園・中庭にて/ガイドの洪さんとかみさん


これで予定のコースは終わってしまったが、火車の待ち時間が3時間もあるのでコースにない北塔寺へ寄り、6階から蘇州の写真などを撮った。
    これが北塔寺


塔の7階から見た蘇州の街


蘇州駅まで送ってもらいそこで洪さんと別れようとしたが、火車が来るまで一緒にいますとのことで蘇州駅の軟座車待合室で約2時間、時間をつぶす。4時52分に上海行きの2階建て列車に乗って上海へ戻り、今度はホームで陸さんに迎えられ夕食のレストランに案内される。名前は忘れたがレストランは日航飯店のいくぶん手前にある、まあまあの造りの飯店であった。2階にあがると何と結婚式の真っ最中、どうりで店の前にベンツが何台も止まっていた訳だ。
料理はやはり上海料理でまあまあの味であったが、ごはんのようなものが出なかったのが残念。食事のあと飯店の中にコンビニがあったのでチンタオビールやポテトチップスなどを購入した。ホテルへ戻り成田で買ったウィスキーをロックで飲みながら、NHK海外向け衛星放送から送られる長野オリンピックのニュースなどを見た。


上海放浪記


3日目はフリーとなり、とにかく上海の街を見て歩こうという計画を実行することとなった。
食事のあと20,000円を元に両替してタクシーで龍華寺に行く、前もってメモに龍華寺の名前を新体文字で書き、それを見せたら一発でOKだった。40元ほどで龍華寺到着、メーターがついているので安心して乗れる。寺へ入ろうとしたら門番のようなおばさんから「ピョー」、「ピョー」と言われる。意味はすぐ解ったので集票所(切符売り場)を探す。線香を売っていたおばあさんに「ピョー」と聞くと指さして教えてくれた。6元(だったと思う)払い票を出して中へはいる。(あのばあさんから線香買ってやればよかった)中はいくつもの大きな建物のあるなかなか立派なお寺で、大きな仏たちが幾体もあった。塔が有名なのだが見あたらない、なんと塔は寺の外にあった。
    龍華寺・山門と塔
寺から外へ出ていよいよ上海の放浪が始まった。
まずは地鉄(地下鉄のこと)上海体育館駅を目指して通りを歩いた。地図上は3Kmほどであるが、やはり見知らぬ街のこと、結構時間がかかった。道路の横断は相変わらずスリル満点、しかし上には上がいて6車線位ある道を一人でぐんぐん渡ってしまう人もいる(しかも女性!)。何人かかたまれば、もう赤信号だろうとなんだろうと「みんなで渡ればこわくない」状態で車やバイクのビュンビュン通る中をすいすいと渡ってしまう。たとえ交差点にお巡りさんがいても同じ!!。
上海体育館。CHAGE&ASKAのコンサートもここで開かれた


地鉄の料金は2元、一律料金で上海体育館駅から西峡南路駅まで乗る。電車は新しく駅もきれいだったが、トイレは無し、自動券売機や改札機は無し、集票所や改札口はすべて女性がやっていた。電車の乗り降りのルールは降りる人が先などというものは無く、早い者勝ち状態である。
西峡南路駅で地鉄を降り、准海路を東に向かって歩く。准海路は東京の原宿といった感じの通りで中国の最新のファッションを見ることができるストリートである。15分ほと歩いて上海華亭伊勢丹に入る。商品はセンスは良いが値段はどれも高い、大抵の皆さんは見るだけの店である。8元のアイスクリームを食べ、トイレに寄ってすぐに出た。そろそろお昼の時間なので一路紅房子西菜館を目指す。20分ほど歩いてそれらしい場所に到着するが建物が無い!!。どうも取り壊されてしまったらしい。
准海路交差点とかみさん


それでは、と考えたのがここまで来る途中にあった花園飯店である。ホテルオークラ経営の5つ星ホテルで内部はさすがであった。2階にある中華料理店「白玉蘭」へ入る。日本語OK、メニューも日本語でウェイトレスさんの対応も良かった(他が悪すぎる!)昼のセットメニューを注文して、本物の広東料理を食べる。今回の旅行で食べた料理の中では最高であった。支払いは363.4元と少々高めだったがこの内容なら安いものである。 おなかが一杯になったところで、再び放浪の開始。西峡南路駅から再び地鉄に乗り、人民広場駅で下車する。いよいよ上海一の繁華街に近づいたため、駅を出ると人・人・人の波。次の目標は陸さんの勧めもあって上海博物館を見学することにした。
博物館前の広場は中国人民の皆さんでにぎわっており、たこあげやローラースケートなどを楽しんでいる人々で一杯であった。真向かいが上海人民政府(市役所)、日本の市役所と違い入り口にお巡りさん(守衛か?)が二人立っていて近寄りがたい感じ。


上海市政府(市役所)・日本の役所よりはるかに敷居が高い


   市政府の対面(トイメン)にある上海博物館


1996年に新築オープンした上海博物館はまことに立派な建物で、国がその気になればこんなすごい建物もできるんだぞ、といっているような建造物であった。参観券は20元、内部は5階建てで中央部は天井まで吹き抜け、内壁や床は大理石、トイレは洋式水洗であった。展示物は中国4千年の歴史を証明する物ばかりで、どうだ中国はすごいだろう。といった感じであった。
上海博物館を出て再び人民広場へ、あらら公園のベンチでは熱烈接吻中のカップルが.....
さて、いよいよ上海のメインストリートといえる南京東路の散策を開始する。上海第一百貨店の交差点を右折し一路外灘を目指す。南京東路は東京でいえば日曜日の新宿か渋谷といった感じのにぎやかな繁華街が続いている。真ん中に海倫賓館という近代的なホテルがあり、ハイランド505というビヤホールに寄ってみたがオープンは4時30分からと言われ断念する。
     陸橋から見た南京東路、左手前が第一百貨店


結局外灘まで完歩し、外灘の石のベンチに腰掛け黄浦江を通る船を眺めながら1時間位時間をつぶす。
ここで中国の皆さんの行動をしばし観察するか゜、地方から上海に出てきた、お上りさんが多いことに気がついた。
アベック、親子連れ、団体とさまざまであったが、親子連れの場合100%子供は一人である。
ご存じのとおり、中国は人口抑制政策で子供は一人しか生めない、だから反対にめいっぱい子供を甘やかして育ててしまい、その結果子供は「小皇帝」と呼ばれるようになっているとのことである。
それから、写真の撮り方であるが、1枚でも無駄にしまいと皆さんそれこそ、真剣に撮影している。まさに昭和30年代の日本の風景を見る思いがした。
さて、夕食はどうしようかと思案したが、すぐ後ろにある和平飯店は上海料理だし、昼の花園飯店がすばらしかったのでもう中華料理はやめて、日航飯店の洋食にしようということになった。
そこで、さっそくおみやげの買い物を開始することにした。買い物は外灘近くの友誼商店、日本語OKだし、カードも使えるので入ってみたが、何と店の中はガラガラ、客より店員の方が多いじゃないか。値段を見るとどれもこれも結構な値段で、本音を言えば「しまった!」と思った。
しかし、もう時間がないし、いまさら他の店へ行く元気もないので、ここで土産品の買い物をすることとした。(もし、この次に上海にくることがあったら海倫賓館に泊まり、第一百貨店で土産物を買おう!!)
買ったものは蘇州で買いそびれた両面刺繍、そしてばらまき用のお茶とパンタ゛のチョコレートやクッキーであった。人民元も乏しくなったのでここで初めてカードを使う。
買い物終了後店の前で待っていたタクシーに乗り、日航飯店のメモを見せる。行く先は一発でわかったようだが、運転手さん何か言っている。どうも高速を使っていいか、と聞いているようだ、「要」・「要」と答えたら通じた。
タクシーは一路日航飯店を目指して環状高速をひた走る。例の車と比較してずっと大人しい走りだ。
前にも書いたが、上海は今建設ラッシュである。そもそも上海の人口は約1,500万人と言われているが、そのうち流動人口が約300万人。そしてその大半が建設工事に関係している。
中国で公共工事をするのはいたって簡単である。土地はほとんどが国のものなので用地の取得などじつに簡単、移転通知から半年たっても立ち退かない場合は本当に追い出されるようだ。労働力は地方からいくらでも入ってくるし、人件費は安い。まー国や市政府がその気になればなんでもできる、といった感じである。
赤いイルミネーションに飾られた立派な高速道路を降り、ホテルへ到着。51.6元だったが、60元出すと50元にまけてくれた。いい運転手さんにあたった。
日航飯店のレストランファウンテンで夕食をとる。セットメニューをたのんだら有りません、とのことで仕方なく前菜から始まりフルコースを注文する。失敗したのはポテトサラダ、量が多すぎて残してしまった。味の方は残念ながらいま半分(やはりこの国以外の料理をたのむのが間違い!)、といったところであったが、特別割引中で二人あわせて284.6元!という大バーゲンであったので良しとした。


パンダにさようなら


最終日、朝食後上海動物園まで歩いて行く。入場料は10元、目指すはパンダ舎。
     上海動物園入口


昔はゴルフ場だったというだけあり、広い広い。15分位歩いてやっとパンダ舎到着、いましたいました、お食事中のパンダが。笹を食べたあと係員がりんごを2コ放り込むと、ムシャムシャと食べ出した。そのあと堅いパンのようなものをがりがりと咬んだあと日当たりのよい場所まで行くと観客席に背を向けてコロッと横になると寝てしまった。見ていたお客さん一同大喜び。

上海動物園のパンダくんです


11時30分に日航飯店に戻り12時チェックアウト、国際電話代312.7元を支払う。例の車で上海虹橋国際空港まで送ってもらいそこで陸さんと別れた。
空港の免税店で少し買い物をして立ち食いうどんを食べる。店員どこも不愛想。−そう、今度の旅行全般を通じていえることは、どこもかしこも不愛想であったこと。とくに国営・公営の店や施設は一番ダメ。民間の店やレストランもにたりよったりで、今回良い感じがしたのは、花園飯店の白玉蘭と日航ホテルのフロント位であった。(しかし、どこでもサービス料金はしっかり取られている)
やはりサービスというものに対する考え方がいまいち解っていないようだ。社会主義国の弊害がこんなところにも現れているのかもしれない。
ともあれ、ほんの一部であったにせよ、いままでイメージだけであった中国をこの目で見、この耳で聴き、この舌で味わったことは実に貴重な体験であった。政治は社会主義、経済は資本主義という矛盾に満ちた開放政策の旗のもと、世紀の大実験が進められている中国であるが、社会主義の理想とはほど遠く、貧富の差は開く一方である。
たとえば、道路を走っている車であるが、日本ではよく田圃や畑に物置小屋代わりにすててある半分腐ったようなマイクロバスやバンが上海では黒煙をあげて走っており、その横をピカピカのベンツS600がクラクションを鳴らして追い抜いてゆく光景は日常茶飯事である。
大きな駅や長距離バスターミナルでは頭はぼさぼさ、顔は日焼けで真っ黒、よれよれの服を着て、一見で地方から出稼ぎに着たとわかる農民があてもなくブラブラとしている風景もいくらでも見られた。
タクシーはたくさん走っているが、乗っているのは外人か金持ちで、大半の人々は鈴なりのバスに揺られている。なぜなら上海のはじからはじへ行こうとすると、タクシーの料金はバスの約100倍なのだから........
という訳でなかなか現実は厳しいものがあるのだが、上海の皆さんはそれなりに、したたかに、「ホンネ」で生きているな、と感じた。
午後2時10分、JAL792便は薄く霞のかかったような上海虹橋国際空港を後に、一路成田を目指して飛び立った。窓の外に同じような造りの、煉瓦で出来た建物がいくつも見えたがやがて見えなくなった。

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