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コラム

 1番『BSEと吉野家』   2番『建築家をめざす中高生の諸君へ』   3番『クローン』 
 4番『耐震偽造物件をどうするか』  5番『建築基準法』  6番『2つの法律』
 7番『家庭教育カウンセラーと脳科学者』  8番建築家・降幡廣信氏の講演から  9番


8番 文化講演会 講師 降幡廣信先生 「民家の今後はどうあるべきか」
 平成24年12月

                       (文責)情報広報委員会 上原明彦

建築士ネットワーク・佐久2012の文化講演会にお迎えした降幡先生は
民家再生の先駆者として全国で
古民家の調査・設計監理を手掛けられ、
1990年日本建築学会賞も受賞された信州の誇る建築家であります。

■前半は「民家の生い立ち」として縄文時代から近代にいたる民家発展の過程に触れられた。寒冷地ほど土間を広くとり、また土間があってはじめて床が生きるとの説明には、自然環境や生活(営み)を通してその土地固有の民家を生みだした先人の知恵をひしひしと感じさせられた。萱葺きを長持ちさせるために小口を見せない寄棟が主で、小屋裏利用の明かり取りの工夫から多様な形態が現れ、時代を経て誰もが満足できる普遍の美しさを獲得したといえるとのお話。具体例として白川郷合掌造りは、平地の少ない山間で建坪が広くとれない制約の中、養蚕のための床を小屋裏多層に確保し、豪雪にも耐えるには必然とも言える形・・・最も安全で使いやすい家になっているのであると。

■草間さんの家
本格的な民家再生の第一号となった草間邸は文政時代の本棟造りの石置き屋根で、古いところは元禄時代の部分もあり「かろうじて生きのびています」という重病の民家290歳の家)であった。かつての大庄屋も今は雨漏りになすすべもなく、薄暗い空間で老夫婦二人が暮らしていた。このまま見過ごすことはできない。
 建築に携わる者として重荷を背負ったまま自問する日々を過ごしていたが、実家に入られる息子さん夫婦の決断で、今まで経験したことのない手探りの再生工事に取り組むこととなった。「残したい」と家主さんが願うほどの家であるならばそれをかなえてやれる建築家でありたい。
「再生」・・・再び生まれ変わらせればいいんだ。それなら私にもできるはずである・・・。古いものに安らぎを覚え、それを大切にしたいという一家の信頼を得て工事は順調に進んだ。 解体してみると、どんなふうに建てられていたのかが、逆に見えてくる。 再生なった部屋は明るさを取りもどし、見上げれば文政時代の梁が力強い意匠となって歴史の真実を伝えてくれる。


1929年旧三郷村生まれの降幡先生は当年83歳。これまで手掛けた民家
再生は
300余棟。残り4県で実現させれば全都道府県制覇になるとのこと。
村野藤吾さんの歳を超える94歳までは現役を貫くことを目標にされている
とのお話を聞き、敬服すると同時に益々のご活躍をと願わずにはいられない。

後記:遅まきながら拝読した『古民家再生ものがたり』(晶文社)には、愛着ある古屋を壊す気持ちになれず、思案の末に降幡氏へ手紙を書き送ったり、一家で信州を訪問したりする幾人もの家主のものがたりが、清々しい文章と写真で紹介されている。草間邸再生にあたり〈再生工事の五カ条〉として掲げた基本姿勢は今も変わってはいないという。清家清氏の奥様の実家を設計されたエピソードも楽しめた。古いものは本物であり、本格的なものは美しい!
お薦めの一冊です。

長野県建築士会佐久支部会報「ちくま平成25年1月号」掲載


7番 「第57回日本PTA全国研究大会みやぎ大会報告

:::::家庭教育カウンセラーと脳科学者:::::

平成21年9月

佐久では夏休みも終わった82122日に開催された日Pみやぎ大会には【向き合おう!まっすぐに
語り合おう!子どもの未来のために】を大会スローガンとして全国から
8000名の会員が集った。
全佐久の4名(佐々木会長、沼田副会長、井出副会長、上原)は初日の第2分科会と最終日の全体会に
参加するため石巻市仙台市利府町を訪ねた。

〈家庭教育〉をテーマとした分科会での内田玲子先生(家庭教育カウンセラー)の講演は田中真紀子ばりの
迫力であった。非行、いじめ、夫婦、嫁姑、食育すべて自身の経験と長年にわたる心の研究に基づいており、
生活の中に答があると明快に語る。生まれて、おすわりし、ハイハイして、つかまり立ちして一歩あるく。
人にはこの変わらぬ順序があるのであって、自然に逆らって過剰な早期教育をしたり、親の都合で振り回して
いると必ず不調和が起こり、いろんな形で表面に出てくる。その子はサインを送っているのだから、気付いて
ほしい。育て間違いをしていませんか?という問いかけは、母親たちにとっては腹の底にずしりと来る
ような内容であったかもしれない・・ここで父親が出てこないのに異論のある方もいるでしょうが、内田
先生の話は終始母親に向けられていたのである。

全体会の記念講演は、脳トレで有名な川島隆太先生(東北大学)による〈脳科学から見た早寝・早起き・
朝ごはんの大切さ〉である。科学者に語らせると、キレる子どもも、怒りっぽくなったり涙もろくなったり
する中高年も、
すべては脳(前頭葉)の発達と老化に関係していると結論付けて容赦がない。会場の8000
が脳のさび具合をテストされて苦笑いであったが、正直ショックを受けた人もいたであろう。


本題では「朝食をとる子の学力は高い=朝食をとらないと馬鹿になる」というのは栄養学からも、脳科学
からも証明されているのであるが、なにより生活習慣が確立しているか否かの差があらゆる面で決定的で
あろうと語っていた。もうひとつ、今日から実践できることとして、子どもはその時その場で褒めることが
重要で、時をおいて褒めても脳は反応しないとのことである。

 ある意味対照的なふたりの講演だったが、根っこは日常の生活とことばにかかっており、親がそれをどう見せるか
に尽きるということと理解した。全国大会という非日常の二日間に身を置いて考えたことは、我が子とのかかわりでの反省
と悔恨であったが、得難い経験をさせていただいたことに感謝している。
仙台から一歩外れた田園地帯は、とても佐久の風景に似ていて親しみを感じる旅でもあった。
ぴぃでぇえー(PTA)の歌さぁはずぅめでうだった〜という地元参加者の言葉が温かい響きをもって耳に残っている。

「全佐久PTAだより第2号掲載 


6番 『2つの法律』 
 平成21年9月
 

改正臓器移植法案が衆議院を通過した。はたして12年目の改正がなるかは政局がらみの国会運営次第になりそうだが、各党各議員が見せた対応には興味を引かれた。「脳死=人の死、年齢制限なし、家族の同意のみで移植可能」というA案が可決されたことはある種の衝撃であった。この案は世界保健機関の推奨とほぼ同じだという。法の必要性は認めるものの、人の死を法律で一様に線引きする発想に違和感をもつ日本人が多いのではないかと思う。脳死判定や移植を拒否する自由は確保されているA案ではあるが、原則が大手を振るうようになると例外を咎める空気が生じないとは誰が言えよう。

いっぽう改正建築基準法はどうか。かいつまんで言えば【認定プログラムをノーエラーで通った建物は安全性を有する】という、世界に例のないような法20条に呆れかえったのが2年前。 以来次々と送り出される関連法制度は報道で扱われるのも申し訳程度で、一般社会から見れば所詮、建築界というコップの中の嵐に過ぎないかのようである。構造設計実務に携わる者の多くは、考え得る限りほぼ最悪の制度改革にやりきれなさを感じているのではないかと想像する。わずかに基準法は安全の最低レベルであることが広く知られたことは怪我の功名かも知れないが、本来なら建築物の安全性を保証する上で「確認と検査制度」に限界があることをまず認め、そのことを社会に周知するべきであった。国民と専門家との認識のギャップを埋める努力をせずに法制度の手直しだけに狂騒した結果、構造に限って言えば、この告示式を使い、応力図は○号様式で描き・・などというゆがんだ技術法になってしまったことは本当に恥ずかしい。

過日亡くなられた木村俊彦氏は著書の中で新耐震設計法の成立当時すでに『厳密になればなるほど、際限なく面倒な計算にのめり込んでいく』ことの危険性を述べておられた。構造設計方針も構造計算も、細かく書き込めばいくらでも書けるものなのである・・それこそ泥沼に足を突っ込んだように抜け出せなくなる。

脳医学の発達や人工呼吸器の登場が脳死を発見し、コンピュータや震災が新しい設計法を生んだように、日々新たな知見が加わり、社会の要請も多様化する。 現時点で全ての問題が解明されているわけではないのだから、将来へ向けて柔軟性を持たせる発想こそ必要なのではないか。 それがないと、人に奉仕するはずの法がこの先も道を誤る恐れ無きにしもあらずと危ぶむのである。 

長野県建築士会会報「建築士ながの 9月号」掲載

 

 5番 『建築基準法』
 平成20年2月
 

社会が求めている安全性を実現する(姉歯物件を排除する)ために法改正が行われたと理解したいのだが、
その後の混乱が示すように法改悪となっている面が多い。
法案が示された時点ですでにそう言いきっていた専門家もいる。一般の方にも分かるようにある程度簡略に
書いてみると・・・あまり自信がないが・・・

■構造設計にかかわる法改正は大きく4点■
@設計責任の明確化           A構造計算適合性判定制度(略称=適判)
B認定プログラムを法律に規定     C新資格の創設(構造設計一級建築士)

@は実際に設計した者が記名押印すること→つまり今まではそうでなかったということ。
元請け事務所の1人の建築士の名前しか必要なく、実際には下請けや無資格者が設計していても、それは
表に出なかったのである。設計の丸投げ・下請け体質はゼネコンによる施工と同様であることは昨今の
ニュースで周知のこととなった

A一定規模を超えたり、特別な配慮を要する計算方法を採用した場合、その構造計算書は専門家(判定員)
のチェックを受けなければならない。当然のこと審査期間の倍増→今までは確認機関(県や民間)の
審査係がみていたが、これらの人達では審査能力が不足だというコトになった。
現在、判定員の数が不足している上に、実用上無意味な追加書類を設計者に要求する事例が相次いでいる
ため、建築確認が停滞する要因になっている。
判定員の多くは構造設計実務者のはずだが、それらの人たちも審査する立場(権力側)に身をおくと、
全くお役人体質になってしまうのはどういうわけであろうか

B新たな認定プログラムを使用した構造計算結果は、法的にお墨付きが与えられ、審査の期間や手数料で
優遇される→認定プログラムとは一貫構造計算ソフトで、適用範囲や出力項目、偽装防止策などが国の
認定基準?に合格したもののことだが、平成
20年2月末現在それは存在しない。
ソフトは道具の一つに過ぎないのだから、認定制度はあっても仕方ない(真実は無い方が良い)が、
基準法に位置付けるのはまったくのスジ違いである。
特定のソフトを使った画一的な構造計算を強要する官の暴挙と感じる。なかでも一貫構造計算ソフト
条件さえ入力すれば、設計者が何も考えなくても一定の結果を出力するというもので、このソフト無しに
一連の偽装事件はおきなかったのではないかというシロモノなのである。この背景には、一貫構造計算
ソフト
にだけ頼って仕事をしている無能な設計者の存在と、ソフト利用を前提とした瑣末な構造規定を
乱発する官の病的な発想があるのだが・・・いずれにしろ「新たな認定プログラムが出回れば全てが解決
する」ような発言をしている人(国交大臣や官僚など)は本質を理解していないことを自白しているよう
なものといえよう。もう一点、ソフト開発の専門家なら常識なのであろうが、計算結果の偽装工作を完全に
防止するなどというコトはそもそも不可能であるらしいのだが

C構造設計一級建築士の資格がないと一定規模の構造計算は有資格者のハンコをもらわないといけない
→平成
20年中に資格試験が実施されるようだが、大混乱を起こすのは必死であろう。
資格とその人の能力・倫理観は別だということが分からない人たちは、何でも制度に頼ろうとする・・・
そして制度を維持するために、新たな人的物的なコストが必要とされる。

以上の4点に対する私の評価

@は○ Aは△ Bは× Cも× トータルすれば落第点ということになってしまう・・・
一連の構造関連規制は実務に精通した人間の発想でないことは明らかなのだから、早期の出直しこそ必要と
思う。国(国交省)はみずからの誤りを認めないつもりであろうが・・・

■建築確認制度について■

倫理観ゼロの建築士、形骸化した審査制度、下請けいじめのゼネコン、詐欺まがいのコンサルタント業者、
銭ゲバ体質のホテルマンション業界・・・この数年でいやというほど晒されてしまった。建築界に限らず、
まっとうな個人や組織がある一方で、悪も必ず巣食っているのが世の常である。

では、国のすべきことは何か?建築物の安全性を保証する上で、「確認と検査制度」に限界があることを
まず認め
、そのことを社会に周知すること
であろう。

「確認と検査制度」が建築物の安全性を本気で保証しようとすれば、設計監理業務を二重に行うこととなり、
国民に過大なコストを強いることになるし、初めから全て官に設計を頼めばよいという話になってしまう。

そんなことはできっこないのだから、悪質業者の排除、保険制度の充実、消費者への情報提供・教育など
を行うことの方がはるかに有効なのだ。どんな厳格な制度にしても、自己責任・設計者責任の世界であって、
官が責任をとってくれることは決してない

■我々には、犬小屋の真の耐力だってわからない■

建築は工学であって、物理学や数学のように全宇宙を厳密に記述するようなものでない。つまり構造設計は
実用上足りるという判断がつけば十分なのである。
そもそも長期荷重・短期荷重の使い分けからして
はなはだ「工学的な」話である。荷重、モデル化、材料、施工のばらつきまで考えれば、我々には、犬小屋の
真の耐力だってわからない。実大実験したところで、一定条件下の最大耐力でしかない。でも、それでいい
のである・・・実用上十分だから。結局はそこのところを皆が頭を冷やして再認識することであろう。

言いたいことは、設計方針も構造計算も厳密に書こうとすればいくらでも書けるものなのである。
それこそ泥沼に足を突っ込んだように抜け出せなくなる(木村俊彦氏が著書で書いていた?)。
せっかくダブルチェック(適判)をするのだから、原則自由に設計させ、設計者の錯誤や目配りが不足した
部分を判定員が手当するのが『望ましい』

利用者の立場にたち、日本の建築を良くしようと行動する真の専門家が求められている。

■最後に吉岡忍氏の「供述調書漏洩事件」に関するS新聞寄稿より■

「(前略)・・歴史の教えるところによれば、権力がムキになるのは、たいてい自分の落ち度を棚に
上げるか、都合の悪いことを隠すときである。が、そこで終わらない。彼らは必ず問題が発生した状況全体を
統制する衝動に駆られる。

(中略)・・仕切り役としての存在感を顕示したがっているように見える。それは彼らが考える『世の中は、
人は、こうあるべきだ』という常識、あるいは偏りや病理を社会一般に強要することである。

(中略)・・言論・表現の自由を行使する本質的な理由は、公的に流布される常識を疑い、そこに潜む偏りや
病理を指摘することだろう。自由とは、多様・多彩であることだ。(中略)・・私は権力というものの、
相も変わらぬ自己保存本能を見る」

まるで、耐震偽装事件とその後の法改正の混乱を論じているかのようではないか

■用語

構造設計:建築設計は意匠構造設備に分化しており、一級建築士であっても、仕事として全てを
カバーする能力は無い。全国で実務に携わる者は推定
1万〜15千人程度といわれる。
構造設計者の国内唯一の職能団体である
日本建築構造技術者協会(JSCA会員は3千数百人

建築確認:建築物を立てる場合、着工前にその設計が建築基準法に適合していることの確認を受け
なければならない

設計監理:設計は計画を練り、設計図書を仕上げるまでの仕事。監理建築主設計者の立場で
工事が設計図書通りに行われているかチェックする仕事。
平たく言えば施工者のミスや手抜きを監視すること(現場管理や監督ではない)

短期荷重:風や地震のように短時間だけ建物にかかる外力(荷重)のこと。これに対して床・屋根など
の自重(固定荷重)や人・家具・車両などの積載荷重は長期荷重として構造計算上区別する

工学的:数理的に厳密な解が困難な場合に、実用上の不都合が無いことを判断して設計に近似値を用いる
こと。建物全体の性能からみて微小なものは設計者判断で無視すること・・・構造設計上の有効桁数の
判断とでもいえようか

構造計算適合性判定制度(略称=適判) 平成19620日から一定規模以上の建築物について指定機関
による構造計算審査が義務付けられた。原則2人以上の判定員(構造の専門家)によって審査される。
1000u以下の物件で15万円の審査手数料が追加される計算の妥当性と法適合について審査をするのであって、
よりよい設計にするための助言をするピアチェックとは似て非なるものである!

一貫構造計算ソフト:建物データを入力すれば、許容応力度計算(震度5での応力変形解析と断面検定)
から保有耐力計算(震度6強で倒壊しないことの検証)までを一貫して行うソフトウェア。
主な偽装事件は全てこの手のソフトによって起こされているようだ

木村俊彦:構造設計家。大正15年香川県生れ。前川国男建築設計事務所、横山建築構造設計事務所を経て
木村俊彦構造設計事務所設立。丹下健三、大高正人、磯崎新、篠原一男、槇文彦、原広司などの建築家に
協働して、多彩な構造設計活動を展開した。著書に『構造設計とは』など

 

  4番 『耐震偽造物件をどうするか』
 平成17年12月
 

先月発覚した、構造計算書偽造事件は、60棟をこえるマンション・ホテルが存在することから、
社会不安を引き起こしている。
建築士の犯罪であることは論を待たないが、姉歯氏の脳は仮想現実に陥っていたのかとあきれるばかりである。
残念なことだが現在の設計・施工・確認・検査の体制の中では、悪意を持ってやろうとすれば可能なことなのである。
責任の所在はしっかりと解明してもらいたいが、そもそも法的に位置付けがない構造設計者を裁くのには
法の限界があるようにも思う。ともかくも、このような形で初めて「構造設計」という建築の専門分野が注目を浴びる
ことになったのは、嘆かわしいとしか言いようがない。

報道では、責任追及や被害者救済のシナリオ、検査体制の見直しなどが今後注目を集めていきそうだが、
現に存在している危険なマンションをどう処分すべきかについては、深く議論されておらず
補強(免震も含む)するか解体するかの2つしか聞こえてこないようである。
そこで、ここでは純粋に技術的・工学的な見地から、一般の人にもイメージしやすいような方策を2案紹介したい。

【A案】これは私案である。
極度に危険な物件は国が買い取った後、解体されるとのことだが、3割〜4割程度の耐力不足であれば
様々な方策が可能である。
少々乱暴だが、10階建ての上部3層を撤去し、7階建てとして使用するのであれば、
補強することなしに、(つまり下層階にいっさい手を加えずに)住み続けることさえ可能なのである。
7割の住民が継続して住めるとすれば、全住民が転居し、さらに新たな負担を負うのと比較して、検討する余地はあろう。
経済性(商売)優先で企画されたマンションは、敷地の容積率制限いっぱいに建てられ、
周辺の日照・通風・景観などの環境面でも決して誉められたものではないであろうから、
高さが押えられ、建物ボリュームが減ることは街並としては歓迎すべきことである。
経済効率を追い求める立場の人には歓迎されないであろうが・・・
屋上を緑化して積極的に周囲に貢献しようという方向を打ち出すことも考えてもいい。
なにより、解体して新たに建てることが莫大な無駄であることは確かだ・・・たとえできの悪いマンションではあっても・・・
阪神大震災では、被災したマンションの階数を減らして改修し、住み続けた例がある。
そもそも昭和56年(1981年)以前旧基準法で設計された既存不適格建築物何割かは “姉歯物件”ほど
ではないにしても、大地震時に倒壊する危険性をはらんでいるのである。
ただ情報として一般に知られていないだけなのだ!

【B案】こちらは著名な構造家川口衛法政大名誉教授の信濃毎日新聞12月10日の談話の一部である。
「“姉歯物件”は政府が買い取り、耐震研究のために使ってはどうか。周囲の安全を確保した上で地震にさらし
倒壊のメカニズムを計測したり、免震化してその効果を確認したりできるようにする。
実際の大地震を建物の方から詳細にモニタリングした例はない。
現行の建築基準の当否を見極める貴重なデータとなるはずで、税金を使うに値する事業といえる。」

被害に遭われた方々は大変気の毒に思う。上記の2案は被害者の資金面・精神面の苦しみには配慮を欠くかもしれない。
しかし、日本人は往々にして、発想や行動が特定の方向に一気に流れてしまう性癖があり、今回もそれを危惧している
あらゆる議論は、多くの可能性の中からダメなものを消してゆき、最善にたどり着くための手段であるから、
知恵を出し尽くすまで取り組むべきだと思う。もはや建築界にとどまらない大問題なのだから。
建築は一品現場生産であり、設計でも施工でも時間をかけないで安く仕事をこなすことだけが重宝がられると、
いつしか質(安全)は置き去りにされる。
今回の事件でいえることは、「それに見合う負担なしに安全を得る事はできない」ということであろうか。

■追記  この事件が報道された時、いずれも鉄筋コンクリート造RC造)の物件であり、鉄骨造S造)の物件が
出てこなかったので、その後も注目していたのだが、結果は全てRC造のようである。
S造
の場合、鉄骨部材は鉄鋼メーカーが製造し、鉄骨加工業者が加工して現場に運び込んで組み上げるのであるが、
鉄骨加工業者(鉄工所)には優秀な技術者・建築士も多く、必ず骨組全体に目配りするから偽造や欠陥があれば
そのまま見過ごすことは通常ありえない。(悪意を持って犯罪に荷担しない限り)
では今回、偽装した計算と図面によって造られてしまったのがなぜ全てRC造なのか。構造・構法の違いであろう。
現場打ちのRC造は一層ごとに鉄筋と型枠を組み生コンを打設する・・・現場の職人で、建築全体の骨組構造を
意識する者はまれであろう。S造に比べると相当にローテックといわざるを得ない。(RC造が劣るという意味ではない!)
更に悪いことに、RC造の柱や壁は鉄筋を半分にしたとしても、部材の初期剛性(変形に抵抗する固さ)は
変わらないから、地震力を受けてひび割れでも発生しない限り、外見上も実用上も不都合は発見されないのである。
つまり地震力用に働くことを意図して配筋した鉄筋が効くような状況になって初めて、重大な結果を招くのである。

■追記(その2)年が明けて平成18年1月12日現在、耐震偽造物件は90棟を越えたようだ。 

 

 3番 『クローン』
 平成17年10月
 

食うことが精神的な行為でもあるとすれば、食うべきでないものは確かにあると思うのだが・・・

日本人は自然から離れた結果、自給を放棄し、食のすべてを他人任せにするに至っている。
牛は家畜だから、その時点で反自然だと言ってしまえば、狩猟時代に戻るしかないので、それは問わないとして、
遺伝子組換えの米国産トウモロコシを主原料とする配合飼料を使った牛肉をどう評価したらよいのだろうか?
こうした疑問に対する答えを出すには、個々の情報を正しく理解しただけでは、どうしようもない。

さて現代の肉牛生産を繁殖技術の面から見ると様々な人為的手段がとられている。
1)肉用にしかならない♂牛は去勢される→肉質は♀が最上で、去勢♂、 ♂の順に落ちる(自然界に去勢♂はいない
2)牛はほとんど全て人工授精で生まれる→遺伝的に肉質の優れた牛を交配する(精子=父系の操作
                           →ホルスタイン♀に和牛♂を交配するF1(一代雑種)の生産
                             肉質は和牛(黒毛和種)が最上で、F1、ホルスタインの順に落ちる
3)人工授精からさらに進めて、受精卵移植・分割→優秀な母牛から数百頭の仔牛を生産する(卵子=母系の操作
                                  ホルスタインに和牛を産ませる(借り腹)
4)受精卵移植からさらに進めて、クローン生産→受精を経ないで、生体のコピーを可能とする(借り腹は必要)
未来予測として
5)培養液の中で無限増殖する牛肉細胞→もはや生体としての牛は必要ない。牛肉の水耕栽培!
なども可能かもしれない。

3)の授精卵移植は、ヒトでは試験管ベビー(体外受精)として1978年に英国で行われ、
当時衝撃的ニュースとなったが、現在は不妊治療で珍しくはない。
受精卵移植はET(Embryo Transfer)と言って、スピルバーグの『E.T.』とは別だが、映画『E.T.』がヒットした頃は
すでに牛で実用化されており、私自身は当時の試験管ベビーのニュースに何ら驚くことは無かった。
酪農家はみな同じ思いであったろう・・・牛で可能なのだからヒトでもできてあたりまえ・・・と
4)のクローンも英国の研究機関が1996年に羊ドリーを生産したことで記憶に新しい。
和牛でも試験段階は終え、流通販売をどうするかというところまできている。

以上のような生産方式が生まれた背景に目を向けると、
消費者の嗜好と大量生産・大量消費のシステムが常に推進力となっていると思える。
飼養管理はもちろんだが、品種血統の差、雌雄の差が決定的である肉牛の場合、
繁殖と改良が最大関心事になるのはやむをえない。
黒毛和種さえも、日本在来種に外国産品種を交配して改良されてできた肉牛なのだ!

個人的には、4)のクローン生産は行き過ぎであるし、相当に抵抗感を持っている。
ETまでは、人の力が補助的なものであると理解できるが、クローンは健康な生命体を切り貼りしているような
感じを受けてしまうのである。(遺伝子組換え動物と紙一重の生命操作に違いないのだから)
できることと、それを利用すべきかどうかは、明らかに次元の違う問題として判断すべきであろう。
生命操作以外にも、農薬成長ホルモンの使用など、効率を優先するとリスクを招く面は多く、
人為的な生産手段がどこまで許されるものなのかを考えねばならない時代になった。
ものを食うことは他の命あるものをいただくことであり、体内に異物を取り入れることとも言え、
そこには当然のこと危険もあるのである。

現代人には、もっと時間が必要なようである。
新技術の本質を理解して、食物としての安全性は勿論、倫理的な側面をも消化する時間が・・・
いずれにしろ人間にとって困ったことは、一度手に入れてしまったものは、無かった昔には戻れないことである。


2番 『建築家をめざす中高生の諸君へ』 
 平成17年4月
 日本の教育制度では、大学の建築学科のほとんどが工学部に属し、芸術系より理数系の勉強の比重が大きい。
しかし、他の工学系の学科とは毛色が違うことは確かで、私の学生時分でも、工学部の文系などと
陰口を言われたものである。・・・いや、ほめ言葉であったのかもしれない。
(現在は学科の再編などで、建築学科という看板が○○環境やら△△システムなどに変えられているところも増えた)
皆さんがイメージするよりも、卒業生の就職先は幅広く、設計の仕事につく者の割合は案外少ないのです。
建築学科を卒業してどんな仕事につけるかを上げると、だいたい次の7つくらいになっている。
    @設計事務所 a)意匠 b)構造 c)設備・環境
    A建設会社・・・ゼネコン、工務店、ハウスメーカー
    B建築関連産業・・・鉄鋼、不動産、建材
    C一般企業・・・トヨタ、日立、鉄道、商社などの施設営繕部門
    D官公庁・・・国、地方の建築課・都市計画課など
    E大学・学校・・・大学、高専、工業高校の教員
    Fその他・・・小田和正菊川怜など
時代は変わっても衣食住はまぎれも無く建築が主役であるわけだから、上のようにあらゆる分野に進む道がある
ともいえるのだが、@〜Fのどれに進もうと考えるかには、かなりの意識の差がある。
補足のコメントをすれば、
    @はデザイナー志向、独立志向の人。設計が好きな人でないと続かない。
     皆さんがイメージする建築家に一番近いが、分業が進んでいる。収入や安定性など待遇面は一般に恵まれない。
     安藤忠雄伊東豊男などの建築家はこの中から出てきたのだ。
    Aは大多数の人の進路になっている。設計部門と工事部門に大きく分かれるが、やはり工事が主であり、
     中小建設会社では設計部門を持たない社も多い。
    Bは建築に関連したあらゆる業種が当てはまる。
    Cには大企業、人気企業がたくさんある。
     しかし本業は建築ではないため、建築を専門にやっていても本流にはなれないつらさがあるかも・・・
    Dは説明不要。公務員のこと。
    Eは研究や教育に向く人。建築そのものを造るのでなく、建築をめざす人を育てる仕事。
     ある意味で、その国の建築レべルを高めも低めもする。
     名を成した建築家は逆に大学の先生になりたがるようだ。
    Fも説明不要。才能のある人にだけ許される道!

建築士の国家資格には一級、二級、木造とあって、一級建築士だけでも20万人いると推定される。
昨今の建設不況もあり、数の上では過剰な状態が続いているのだが、
上にも述べたように実際に設計の仕事ができる人は、自然と限定されてくるのである。
最近は猫も杓子も資格資格と言うが、資格はその人の能力や適性を保証するものではないことを肝に銘じてほしい。
学校の先生はみな教員免許を持ってはいるけれど、
教育者としての能力に差があることは皆さんも実感としてお分かりでしょう。
資格は入学試験と同じで、あくまで入口(最低限)で、その後どうやって能力・技術を伸ばしていけるかが勝負なのです。

ここに書いた話は、別の分野を志望する場合でも共通する面が多いはず。
どんな仕事でも、何のために働くのかという動機付けが一番大切で、それには好きな仕事であるかどうか、
覚悟して自分でつかんだ仕事かどうかが大きいように思われます。
本で調べたり、人生の先輩に聞いたりする中で、幅広く学んで自分を生かせる道を探してほしい。
そして、もし建築へ進路を求めたならば、厳しいけれどぜひ@を目指してほしい。
建築設計の中身についてはまた別の機会にふれます。

 

 1番 『BSEと吉野家』
 平成16年9月
 BSE(牛海綿状脳症)の発生により、平成15年12月にアメリカ産牛肉の輸入停止措置がとられた。
その後、在庫牛肉が底をつく今年3月まで、吉野家の店頭には牛丼を求めて客が列をなした。
しかし、自分の頭で考えてみて欲しい。その在庫牛肉は相当に危険なものなのではなかったのか。
日本ではBSE発生時点の在庫肉は全量焼却処分したというのに・・・。(一応したことになっている)
牛肉と言えば精肉しか知らない人がほとんどの今、知らせるべき情報とは何か。
情報化社会の通例として、多くの情報があるようだが、それらのほとんどはダブっており、本当に必要な
情報は表に現れない。たとえば、牛には乳用種と肉用種といて、さらにその交雑種がいるわけだが、
いずれ最後は全て屠殺されて肉となる。そもそも♂は肉用にしかならないのだが・・・

一般の方には、繁殖や搾乳といった用途を経た後、肉用にまわされる牛があるということを
まず知っておいてほしい。(牛肉全体の1/3くらい)
      30ヶ月齢以下で供給される牛肉:食用肉用種、交雑種、乳用種♂
      30ヶ月齢超えて供給される牛肉:繁殖用肉用種(母牛)、乳用種♀(搾乳牛)

米国には乳用種:ホルスタイン、ジャージー、ブラウンスイス、エアシャーなど
      肉用種:ヘレフォード、アンガスなど
      交雑種:乳用♀に肉用♂を交配など
            がいて、食用向けの肉用牛は30ヶ月以下で肉となる。

食用向けの肉用牛などと変な表現をしたのは、肉用種にも当然のこと繁殖用の母牛がいるわけで、
それがどのように飼われ仔牛を供給しているのかは私も詳しくは聞いたことはない。
当然、多産となるよう飼育されているのであろう。異常プリオンの蓄積には数年かかるため、
30ヶ月以下の若牛は感染していても検査で発見することは難しいといわれているが、
これはもちろん、検査で見つけにくいというだけであって、100%安全かどうかとは別の問題である。
そのあたりの議論を整理しないままに、
現時点では屠殺月令で牛肉を区分するのがBSEの危険度を判断する助けとなる
というような、科学技術で解明しきれていない部分を、都合よく解釈する方向へ進んでいる気がする。
専門分野はそれぞれに進歩しているのに、それを総合して判断する人間の能力は
相変わらず、お寒い状態が続いているようなのである。

以上のように見てくると、一口にアメリカ産牛肉の牛丼と言っても、どのような肉が使われているかを正確に
区分し、かつその危険度を明確に答えられる日本人はいるまい。
吉野家の社長は答えられる?と思うが、その社員は果たしてどうであろうか。
そもそも強欲な人間が、草食獣に共食いをさせるという、反自然の行いをしたために発生したBSE
煮ても焼いても破壊されない異常プリオン、種の壁を越えて感染する不気味さ、・・・潜伏期間8年から15年
脳がスポンジになる病気について、自分の脳でしっかり考える・・・今の日本人に格好の練習問題ではないか。

■追記  日本では平成13年9月にBSE発生。その後の混乱と全頭検査体制についてはご承知のことと思う。
1980年代に英国で確認以来、世界に拡大したが、日本への感染はまったく政府農水省の職務怠慢と断言してよい。
在庫肉の買い上げ政策も偽装牛肉や補助金詐欺といった有様で、農水・厚生の失政は、やはり人材がないのであろう。
この先、米国の圧力に屈して、どんな理由をつけて全頭検査を緩和するつもりか、見ものである。
ただし現実には、若牛を含めた全頭検査にこだわるよりも、特定危険部位の除去を徹底させる方が科学的にも妥当
であるのだが・・・これに関しては池田正行著『食のリスクを問いなおす』(ちくま新書)などを参照されたい。
池田氏は在英経験2年の神経内科医であり、医学的な情報を詳しく述べるとともに、過去のO-157カイワレ騒動や、
所沢ダイオキシン風評被害などの事例からくみとるべきリスク開示のあり方を示している。
ただBSEに関しては、畜産の現場の問題が欠けている印象があるが、これは別の専門家が書かねばならないことであろう。


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