トップ | 近況 | 開拓地の今 | 食と農 | 構造設計 | コラム | 本棚 | キッズページ | リンク |
本棚
濫読多読ができない私が紹介する本は、手元において何度でも読み返したい本
本はあまり買わないゆえか、本を処分することは苦手である
本の保管場所や処分の手間に煩わされることのない電子書籍などというものもあるが
そこまでしてたくさんの本を読むようになるとは思えないし、そもそも本の形と重さが好きなのである
本の善し悪しは、その中身の問題なのだからどんな媒体で読もうと(装丁本だろうが液晶画面だろうが)
かまわないはずだけれど・・・ あなたはどう考えますか
建築/ノンフィクション/小説/随筆/趣味・実用
※印は追加掲載(2014年)
▽印は追加掲載(2013年)
★印は特別にお勧めします
◇建築
▽『藤森照信の美術館三昧』 藤森照信 TOTO出版
たまたま訪れた佐久市立図書館から借りた一冊・・・図書館に寄るのは20年ぶりくらいで、当時は紙の貸出カード
であったような気がするが、今回新しい磁気カードを作成した。市内5館のどこから借りてどこへ返してもよいので
便利なものである。一度に10冊まで借り出し可
本書では、建築探偵の著者が読み解いた27の美術館が、藤塚光政の写真で紹介されている。
やたら難解(晦渋)で意味不明な文章を書きたがる類の建築家や批評家と一線を画し、藤森先生はあくまで
読者に親切で分かりやすい上にサービス精神も旺盛であられる。
石山修(伊豆の長八美術館、リアスアーク美術館)、毛綱毅曠(石川能登島ガラス美術館)、安藤忠雄(ベネッセハウス)
など同世代の建築家の作品を語るときは独特の温かみがあって微笑ましい。
冒頭に『日本がなぜ美術館列島になったのか』の謎解きと、『大衆化した美術館のこの先には何が待ち受けているのか』
という興味深い話題も。 長野県内の美術館は碌山美術館と安曇野ちひろ美術館が登場
『古民家再生ものがたり』 これから百年暮らす 降幡廣信 晶文社
降幡廣信氏は1929年生まれ、信州の誇る建築家で民家再生の先駆者として知られている。
建築士ネットワーク佐久・2012(長野県建築士会佐久支部主催)、文化講演会の講師として11月に佐久市で行われた講演をお聞きした。
本書は古民家再生にたどりつくまでの、手探りの挑戦と民家をめぐる様々な人びととの出会いを、清々しい文章で綴っている。
→講演の様子をまとめた記事はこちら
『橋のディテール図鑑』 写真で見るヨーロッパの構造デザイン 久保田 善明 鹿島出版会
18世紀英国のアイアン・ブリッジからサンティアゴ・カラトラバのアラミージョ橋(スペイン1992年)、ノーマン・フォスターによる
ミレニアム・ビレッジ(ロンドン2000年)など、ヨーロッパ8か国の80橋を克明な写真で紹介している。
石、コンクリート、鉄、木造・・・アーチ、トラス、吊、斜張、浮橋・・・3階建、可動橋・・・歩道、車道、鉄道橋
橋は建築と違って、自然の力と対峙する緊張感をたたえている分、景観としての重みが際立つ印象がある。
逆に、不必要なものが取り付いていたりすると、とたんに邪道に見えてしまうから怖い
『ピーター・ライス自伝』 あるエンジニアの夢みたこと Peter Rice 鹿島出版会
ピーター・ライス(1935〜1992)はオブ・アラップアンドパートナーズ(Ove Arup & Partners)のチーフエンジニア。
シドニーオペラハウス(1967年)、ポンピドーセンター(1977年パリ)、関西国際空港(1994年)の構造設計などで知られる。
自分としては、ガラスを使った挑戦的なディテールを編み出した人としての印象が強い。
ヨーロッパのみならず、世界を舞台として活躍した彼だが、ある意味ではアイルランド人の血がそうさせたようにも思える。
彼が入社した時すでに『ご隠居』であったアラップのことば → 「・・・私が確信を持っているのは、人間はやりたいことの
ほとんどができるほど賢くなった一方で、正しい行いが何かを選択することについては後退してしまったということだ・・・」
エンジニアリングを通して人間(人類)を洞察したひとの、情熱と知を感じさせるエピソードである
『構造計画の原理と実践』 金箱温春 建築技術
著者は多くの著名建築家と協働し、北は北海道から南は九州沖縄まで、全国に展開される設計活動のみならず
日本建築構造技術者協会(JSCA)副会長の要職にあって、構造設計者を取り巻く一連の制度改正等にも
積極的な発言を行っている、現代日本構造家のトップランナー。
本書では、大は「京都駅ビル」「MAZDAスタジアム広島」から小住宅まで、60を超える著者の構造設計作品を例に
構造計画のエッセンスをスピーディーに語っている。
小諸市に完成した安藤百福記念 自然体験活動指導者養成センター(設計:隈研吾)の構造設計者でもある
金箱温春(かねばこ よしはる)氏は、平成23年6月に 日本建築構造技術者協会(JSCA) 会長に就任されました。 |
『ル・コルビュジエの全住宅』 東京大学工学部建築学科 安藤忠雄研究室 TOTO出版
巨匠ル・コルビュジエ(1887〜1965)の住宅106作品の図面と模型が並ぶ。
A.レーモンド、前川国男はもちろん丹下や磯崎、安藤、難波、妹島・・・といった建築家の原型がそこここに見つかる
コルビュジエはフランス、スイスのほかアルジェリア、南米、インドに多くの作品がある・・・実現しなかったプロジェクトも多いが・・・
日本には上野の西洋美術館のみで、住宅作品は残していない。四季の変化に富み、雨の多い日本に住宅を実現していたとすれば
どのように表現したであろうか。あの屋上庭園は・・・
ところで本書中の【067-A】デュラン宅地計画の模型はどう考えても変なんだなあ〜
『箱の家』 難波和彦+界工作舎 NTT出版
100以上もの「箱の家」が現在進行形で造られている。木造軸組あるいは鉄骨造で、その名の通り南面の大開口以外は閉じた箱の一室空間。
鉄骨の柱はH-150x150一種類だけであるという!徹底した標準化の一方で、空間の多様な展開を試みている。
こうした住宅に賛同するクライアント(注文主)がいることは、「箱の家」が都市住宅のプロトタイプとして十分に魅力的だからであろう。
住宅の無印良品とでもいえようか・・・事実そうした商品展開も。「立体最小限住居」で知られた池辺陽が著者の恩師であるというのもうなずける。
(これをRC住宅で徹底的に追求したのが安藤忠雄であり、そのおびただしい鉄筋コンクリートの箱にはただただあきれるばかりである・・・
安藤忠雄著 「家」住まい学体系076/住まいの図書館出版局 など参照)
『住まいの探求』 増沢 洵 建築資料研究社
1990年に亡くなった建築家の作品集。佐久地方にも複数の作品がある。
1952年の最小限住居(自邸)やケーススタディハウス、大屋根の家シリーズなど、今もって新鮮な作品の数々
平面と架構が一体となった単純な屋根、床組や小屋組をあらわす構成、自然で無理のない造形は美しい
★『建築ノート 私の住居・論』 林 昌二 丸善
著者は日本最大の設計事務所のトップにあった人。夫人は女性建築家の草分け林雅子。
増築した自邸について深く具体的に語っている。
またも玄関がない/庭越しに我が家が見える/なぜ増築か/幻のプール/屋根裏に別荘をつくる
/ドアを少なく・・・などテーマごとに写真も豊富、建築家の感性が光る
『建築計画・設計シリーズ 住宅1』 白濱謙一ほか 市ヶ谷出版社
住宅設計の入門書。東西の作品例50余。序章で扱っている一口メモ的なコラムが秀逸。
「住まい方」を主眼に住宅を捉えている点に特色がある。
作品例はじっくりと何度でも眺めてみたい
『現代世界の構造デザイナー』アメリカ編 望月重/石田邦生 鹿島出版会
この本を学生時代に読んだことで、自分の構造設計への進路が決まった。
シカゴの摩天楼を造ったSOMの構造エンジニア、ファズラー・カーン。
彼の建築に対する情熱とプロフェッショナルとして協働する相手に対する全面的な信頼。
そして何よりも創造的な構造システム。
彼が世界でもっとも貧しい国の一つバングラデシュの出身であることに、感動を禁じえない
『日本建築の空間』 井上充夫 鹿島出版会SD選書
著者の建築史の講義を受けた時、「建築をめざして」(ル・コルビュジェ著/吉阪隆正訳)
のタイトルは誤訳であると言い切ったように、芸術的な価値基準を明らかにし、
曖昧さを排除する厳格さが心地よいものだった。
本書では日本建築の朝堂、寺院、神社の成立過程を追いながら、左右非対称や自由な配置の日本建築空間の
特色がいかに成立したかを通史として理解することができる。冒頭で諏訪大社の御柱に言及している
→ちなみに「建築をめざして」の原書は「VERS UNE ARCHITECTURE」 Le Corbusier
日本語訳にあたり、この冠詞UNEを取り去ってしまったところに重大な錯誤があったのである!
『建築構法の変革』 増田一真 建築資料研究社
著者は在野の構造設計者。変人である。私が直接知っているわけではないので語弊があるが、
その作品や著作を見れば分かってもらえると思う。コンクリートと木構造に強い愛着を抱き
現場打ちコンクリートは愚の骨頂であり、強度210s/cu水セメント比60%の生コンは使ってはならないと説く。
「千数百年もの長い歴史を通じて、無数の棟梁たちによって築き上げられた多彩な伝統木構造の知恵の蓄積が、
わずか50年そこそこの間に、思慮浅き学者たちによって全面否定され葬り去られる、というおよそ世界の
技術史の中にも見出すことができないであろうナンセンスな出来事が、わが国では生じた。」
現代建築はあまりに経済や既成概念に毒されていないか。
地球内生命体の一員としてなすべきことは何かを考えさせられる。構造からの現代建築批判の書
『多面体と建築』 宮崎興二 彰国社
R.B.フラーから、モシェ・サフディ、伊藤邦明らの作品に宿る幾何学の美と力
『生きている地下住居』 ヤオ洞考察団 彰国社
副題―中国の黄土高原に暮らす4000万人
建築がその土地で最も容易に入手可能な天然材料を用いて造られる・・・ヤオ洞(ヤオトン)住居の場合は、
いうまでもなく黄土という無尽蔵の材料と黄土高原の気候がこの住居形式を成立させている。
◇ノンフィクション
※『台湾の主張』 李 登輝 PHP研究所
日本統治時代(1895〜1945)の1923年生まれ。日本のオーソドックスな学歴を歩み、京都帝国大学・台湾大学に学んだ後、米国へ留学。
1949年中華民国政府が首都を台北に移したことから、今日までの複雑な歴史を歩んできた。1988〜2000年にわたって台湾総統。
1996年には初めての総統直接選挙において当選している。 台湾は外省人・内省人・先住民など多民族社会であるからそれぞれの立場から
みれば評価の分かれる政治家であることは避けられないであろう。
親日家として知られているが、「なぜ日本は停滞しているのか」については、次のような苦言を呈する。
@世襲制がはびこってしまったため・・・日本で政治家になろうと思えば、一番の早道は政治家の子供に生まれるか、政治家の子女と結婚すること、
あるいは政治家の秘書になって気に入られることだろう。しかし、この道が現在の日本で優れた政治家を生まないことは、もはや証明された
A官僚主義が変化への対応を遅らせてしまっている・・・官僚が強くなったために、政治家が自分たちのなすべきことまで官僚に渡してしまった。
しかも、この官僚が排他性が強くて、つまらない理論に固執して新しい事態に対応できない。アメリカと台湾が新しい事態にはるかに柔軟に対応して
いるのは、官僚の硬直化がないからだと思われる
B必要以上に自信喪失している・・・以前と同じやり方で成果が上がらなければ別の方法を考えればよいのだが、以前の方法に固執するか、
あるいは完全に戦意を失うような状態に陥った
本書には著者の政治哲学や、台湾民主化の歩みのほか、アメリカ・中国・日本との関係について傾聴に値する提言が数多い。
過去にあまり執着しないという肯定的人生観を記し、未来を拓くのは教育であると力説する。 信念の人という印象を強くうけた
▽『登山の哲学』 標高8000メートルを生き抜く 竹内洋岳(ひろたか) NHK出版新書
日本人初の14サミッター(2012年5月に8000メ−トル峰全14座登頂達成)となった”プロ登山家”の自伝的記録。1971年生まれ
自分が高校時代に山岳に親しんでいたのは、ラインホルト・メスナーの8000メートル無酸素登頂の快挙が伝えられたころだったかと思う。
(メスナーは1986年世界初の全14座登頂を達成したイタリア人登山家)
本書を読んでも、装備の進歩や登山スタイルの革新、情報技術の活用はたいへんな変わりようであるが、危険を回避して如何に登るか
という人間の部分は変わりようがないといった印象である。
7大陸最高峰とか8000メートル峰14座というのがどれほどの意味があるのかは、著者も語っている通り、時代により評価も変わって
ゆくところであろう。 「頂上は山登りのゴールではない。無事に下山してはじめて登山は完結します」「頂上に立てなかったケースも、
敗退という悲壮感はそれほどありません」という言葉が、プロらしさを感じさせる
『魔女の1ダース 〜正義と常識に冷や水を浴びせる13章〜』 米原真理 新潮文庫
「同時通訳と乞食は三日やったらやめられない」という著者が、異文化衝突体験を硬軟とりまぜて語るのを
読みながら、国際社会の中で一目置かれる存在となるには我が日本も日本人もあと半世紀はかかるだろうか
と思わされてしまう。 怒涛のような言葉の流れに、圧倒されつつも、明日への希望も抱かせてくれる。
「不実な美女か貞淑な醜女か」で読売文学賞、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」で大宅壮一ノンフィクション賞。
天性の才気と陽気さを持った文筆家と言えると思うが、2006年50代半ばで亡くなっている
『私の中の日本軍』上・下 山本七平 文春文庫
『戦中派不戦日記』 山田風太郎 講談社文庫
23歳の医学生山田誠也による昭和20年の日記。
帝都では夜毎の空襲に悩まされながら、庶民の日常やラジオから流れる戦況を克明に書きとどめ、膨大なる本を読み続けている。
「4月1日・・沖縄近海に来襲せる敵艦隊、100隻を撃沈破せしが、なお100隻以上跳梁をやめず、ついに沖縄本島に
本格的上陸を開始せりと。この戦果あるに大本営発表の声調沈痛なり」と記し、また疎開先の飯田で御放送を聴き
「8月16日・・甘い、感傷的な、理想的な思考はみずから抑えよう。そしてこの一念のみを深く沈澱させよう。敵が日本に対し苛烈な政策を
とることをむしろ歓迎する。敵が寛大に日本を遇し、平和的に腐敗させかかって来る政策を何よりも恐れる。戦いは終わった」と書いた
『隠された十字架』 ―法隆寺論― 梅原 猛 新潮文庫
本書が書かれたのが1972年、いつか読みたい(読まねば)と思いながら今になってしまうのだから、あんまりのんびりし過ぎるのも・・・。
世界遺産にも登録されている法隆寺は世界最古の木造建築として、聖徳太子が創建した飛鳥時代の建築史・美術史上の白眉として知られているが、
著者はこれらが、藤原氏による聖徳太子の怨霊封じ込めの所産であると推論する。(※太子の子孫は山背大兄皇子とともに全て死に絶えた)
正面4間の中門(つまり中央を閉ざす柱で出入を拒否すると考えられる)や東院夢殿の救世観音像(フェノロサが発見した秘仏)、そして正史「日本書紀」
「続日本紀」にも書かれていない再建の謎などを解きすすめるうちに、古代史そのものに対する論考は白熱してゆく・・・
学生時代の「日本建築史演習」という講座は、○月○日法隆寺前に集合というもので建築学生の修学旅行のようなものであったが、あの当時
著者の「法隆寺論」が話題に上っていた記憶は無い・・・初版が出てから10年経ていた筈だが、建築史・美術史専門家からは黙殺されて
いたのであろうか。小遣いを使い切って、帰りの新幹線こだまの切符代しか残らなかった二泊三日の旅を懐かしく思い出すばかりである。
25年後の今、著者の推論は定説となったのか仮説のままなのか、どうなのであろうか。
『百人一語』 梅原 猛 新潮文庫
神話時代の倭建命(ヤマトタケルノミコト)から現代の三島由紀夫まで、古今にわたる著名な日本人百人の印象的な一言。
批判的か肯定的かを問わず、それらの人物が持っていた宗教的立場は、その人生の核心を明らかにする。
ただ、著者が「ここに取り上げようとして、どうしても私の世界に入ってこなかった人物」(どうしても好きになれない人物)
としてあとがきで列挙した豊臣秀吉、徳川家康、勝海舟という人物のことが気になったりもする
『読中独語』 渡部昇一 文藝春秋
哲学と哲学者/「学問は必ずしもすぐに役立つことを求めるものでないから、哲学もすぐに役立つ必要は少しもないであろう。
しかし人間の究極的なことを問題にしているはずの哲学が、それを職業にして生計を立てる人たち自身に職業を与える以外に
役に立たないとすれば少し問題である。・・・今日の哲学者も、もっと時事的なトピックを取り上げて筋の通った考察をやってみるがよい。
それで多くの人を納得せしめる話になるか、わらい者になるか、それとも後世に残るような発言になるか。
そこにこそどのくらい哲学が哲学として身についているかが示されるであろう」
★『甦る日本史』1・2・3 渡部昇一 PHP文庫
副題―頼山陽の「日本楽府」を読む
幕末の文人であり、史家でもあった頼山陽が日本史から題材を選んで漢詩にした66の作品を紐解き、
それらが見事に日本の通史になっていることを教えてくれる。
★『日本人とユダヤ人』 イザヤベンダサン 角川文庫
1970年刊行の本書は、累計300万部の驚異的ベストセラー。第2回大宅壮一ノンフィクション賞受賞
神、聖書、歴史、政治、言語・・・外人?に日本の成り立ちを教えてもらっているような気分である。
日本人は別荘で何不自由なく育てられたお坊っちゃん?
『人間臨終図鑑』上・下 山田風太郎 徳間書店
この人々は、あなたの年齢で、こんな風に死んだ!(上巻帯より)
釈迦、キリスト、毛沢東から夏目雅子まで東西の著名人923人の臨終。
微妙に人間の好奇心にも触れてくる異色の書。
どのページから(誰から)読んでもかまわない。
死を扱いながらも、読後感は不思議と重くはない。
『毒にも薬にもなる話』 養老孟司 中央公論新社
昨今はベストセラーを連発する著者の時評集
『ダメの人』 山本夏彦 文春文庫
西鶴一家言/西鶴作品は「好色一代男」のみで、他は西鶴作でないと断じた森銑三の著作が
日本中の国文学者(西鶴研究者)から無視され顧みられないことを、著者は鋭い人間観察で論じる。
「人は耳を傾けると事が面倒になる説なら無視して、無視したほうが好都合な人が一座すると、
その心がたちまち通いあうこと妙である」
写し/「各人に個性はないということは、私がなが年言ってなかなか承知してもらえないことである。
個性というものはどんな人にもあるものだという説は凡夫の耳に快い。人は聞きたくない説は聞かない。
したがって、大ぜいがすぐ理解する説は、大ぜいが欲する説で、各人に個性があるという説のごときはその一つである」
『負けてたまるか!』 中村修二 朝日選書
副題―青色発光ダイオード開発者の言い分
徳島の中小企業の社内研究者が、1993年世界に先駆けて開発に成功した青色発光ダイオード。
2004年2月東京地裁は発明の対価として200億円の支払を命じる判決を下した。
日本の企業社会の後進性には開いた口がふさがらない。当事者だけが語れる迫力の言葉。
日本人の学歴信仰をも唾棄する。著者は現在、UCLAサンタバーバラ校教授
◇小説・戯曲
▽『再婚』 吉村 昭 角川書店
「かれは、妻の容姿を好み、会話を交わすのが楽しかった。自分に最も適した女を妻にしたのだ、と思い、満足していた。
しかし、30代の半ばを過ぎた頃、思いがけぬ感情が胸にきざしていることに少なからず狼狽し、自らをあらためて見つめるような気持であった。
かれは、妻がなにかの原因で死亡した場合、その後の生活は、どのようなものになるかをひそかに想像していることに、驚きを感じたのだ。」
定年を間近にひかえた一人暮らしの男が、死別した妻との思い出を回想しつつ、新たな一歩にためらいを覚えてしまう。・・・『再婚』
つつましく暮らしてきた義兄が定年退職後、一年ほどして家を出て、誰にも知らせずに一人の女との生活を始めたが心臓発作で急死する。
残された人間たちのとまどいを通して、どこにでもありそうな親子・夫婦のすれ違いを描く『男の家出』など短編8話を収録
『釈迦内柩唄』(しゃかないひつぎうた) 水上 勉 新日本出版社
穏亡(オンボ)とよばれて死体の埋葬、あるいは火葬にたずさわる人。ある火葬場には、「特」と「並」の焼竈があったという・・・死んだ人を焼くのに
差別をつける竈・・・そうして僧侶の側も金高に応じて、院号、居士号、信士号などに分けまことしやかな顔をして、読経しているのだった。
9歳で臨済宗の寺の小僧となった作者には、はじめこっけいに思えたが、長じるにしたがって、それですまされない問題がひそんでいることに気づく。
「死人を受け取り、遺族でさえが、気もちわるがってさわりもしない遺体を、血のつながりもない人間が手あつくうけとって、丁寧に始末してくれる、
この穏亡さんの方に無心のなりわいがあって、かえってこっちの方に仏教徒の姿を見るような思いがすることがあるのだった」
昭和20年6月、秋田県花岡鉱山でおきた強制就労中国人の集団脱走に対して、弾圧虐殺を行った悲惨極まりない事件(花岡事件)を背景として
書かれたこの戯曲は秋田弁の魅力と、人間を差別することの愚かさを訴えて、心にひびくものがある。
松代大本営の強制就労においてもそうであったように、現在のゼネコンの前身会社が工事請負をし、
弾圧に直接の手を下していた歴史には考えさせられることが多い。
数年前に佐久市コスモホールでの上演があったのだが、残念ながら観劇することはできなかった
『草すべり』 その他の短編 南木佳士 文春文庫
見られるうちに見ておかなければ。
今年の秋、何かがそっと背を押した。
五十もなかばになるんだから、先もそう長くはなさそうだしな、とのあっけらかんとした悲観・・・『穂高山』より
草すべりは浅間山外輪山のトーミの頭から湯ノ平(カルデラ地形の火口平原)へ下る(逆は登る)急路である。
自分が高校の山岳部のころ歩いた懐かしい山道の情景が描かれている。 物語は40年ぶりに再会した、かつて高校で前の席にいた
まぶしかったひとと歩いた日帰りの山行・・・≪五十五歳の男と女が無言のまま浅間山の上で弁当を食べている。≫・・・
人生の後半へ足を踏み入れた初老の医師である「わたし」が振り返る過去と、過ぎゆく今この時のいとおしさが訥々と語られている。
長野県内の総合病院に内科医として勤めつつ、作家活動を続けている著者は、厄年あたりから病棟勤務の負担のため
神経衰弱となり、医業を続けることが困難な状況へと追いつめられ、外来診療と人間ドックの診察のみを行ってきたという・・・
そのドック受診者の一人として自分も著者に会っている・・・
☆『文壇』 野坂昭如 文春文庫
これを小説といってよいのか・・・しかし一種の自伝的小説として読んだ。昭和30年前後、文芸界には新しい才能(小説家)
が次々と登場する一方、草創期のテレビ業界は景気こそいいものの、そこに身を置く台本作者やCM作家は、
どうしようもない劣等感と、対岸からの蔑視にさいなまれていたのだという。
同じもの書きでありながら、小説だけは違う!小説とは何なのか?自分の作品は果して小説といえるのか。
毎夜、文壇酒場で出会う作家や編集者を観察した’プレイボーイ’の記憶が紡ぎ出す人物はつい昨日見かけた人のように
生き生きと語りだす。吉行淳之介、三島由紀夫、柴田練三郎、今東光、五木寛之、丸谷才一・・・
野坂氏は8年前に脳梗塞を患い、リハビリ中とのことだが、「通販生活」誌上に往復書簡の形で
『昭和ヒトケタからの詫び状』を連載している。折しも丸谷才一が今年(平成23年)の文化勲章の受章者となった。
野坂は昭和5年、丸谷は大正14年の生まれ。新潟高校の4年先輩だという
『小説家』 勝目 梓 講談社
「バイオレンスロマン」と呼ばれる娯楽小説の旗手による自伝的小説。
小説雑誌でいくつかの作品を目にした程度で、記憶に残る作品があったわけでもなかったが、この自伝的小説は
文字通りありのままに正直に書きこまれた小説家の人生が胸を打つ。 不遇な家庭環境からはじまり、転々とする職業、
女性遍歴、文学修業時代の苦悩、真の才能と出会った時の挫折・・そこから大衆娯楽小説へと転換していった流れが、
鍛えられた美しい文章でつづられている。 冒頭、坑夫として働いた長崎北松炭田の描写が息苦しいほどの迫力をもっている
『落日の王子』上・下 黒岩重吾 文春文庫
7世紀の飛鳥、乙巳のクーデター(大化の改新)に倒れた蘇我入鹿を描いた古代史小説
『南国太平記』 直木三十五 河出書房新社
維新前夜の薩摩藩、お由良騒動を題材とした時代小説の名作
『炎立つ』一〜五 高橋克彦 講談社文庫
朝廷の支配の埒外で黄金の国を育んできた奥陸の地。
NHK大河ドラマで放送されたのは何年前だったか。
渡辺謙が藤原経清を、村田雄浩が安倍貞任を演じていたと記憶している。
岩手生まれの著者渾身の力作
『はやぶさ新八御用帳』一〜十 平岩弓枝 講談社文庫
NHKドラマで放送されたのは何年前だったか
高嶋政弘が新八郎、田中実が源太、有森也美がお鯉、山口崇が奉行を演じ、江戸の人情の機微を見事に映し出していた。
山口崇といえば、林隆三と共演した『天下御免』がなつかしい。NHKドラマばかりですみません
『文明開化 安吾捕物帖』 坂口安吾 創元推理文庫
番組タイトルは『快刀乱麻』、主題歌〜♪少女ひとり白い馬に乗って駆けてくる 霧の朝 妖精は〜
民放ドラマで放送されたのは何年前だったか。
若林豪が結城新十郎、池辺良が勝海舟を演じ、明治文明開化の風俗を軽妙に見せていたと思う
◇随筆・対談
※『きょうもいい塩梅』 内館牧子 文藝春秋
女性初の横綱審議委員をつとめ、脚本家として活躍する著者が、13年ものOL生活を経験していることをこの本で初めて知った。
NHK朝ドラ『ひらり』『私の青空』、大河ドラマ『毛利元就』は、自分の記憶にも残る秀作だと思っている。
昭和30年代に小学生だった著者の体験は、約十年遅れて生きてきた自分との重なりが大きく、必然的に平成の今を見るときの
視点にも頷かざるをえない。人は自分の(時に他人の)人生の心の傷をどう扱っていいものか途方に暮れることがある。
日常のありふれた場面が、忘れ得ぬメニュー(食材)とともに描き出されたあざやかな言葉の贈り物のように感じられる
※朝ごはん食べた?第2集 『愛しくてさよなら』 内館牧子 小学館
男の割り勘/女は顔だ/せっかち女の嘆き/妾/カミさん発現 ・・・
著者の女性に対する評価、観察眼はかなり男性的ともいえる厳しさがあるけれど、一方、男に対して甘いということは
決してない。 以下は 『カズが好きになった』の一節から
「私はJリーグというのが、どうも苦手である。ある時、どうしてだろうと真剣に考えてみた。
そして、その理由がわかった。Jリーグは日本的な精神が希薄なので、私にはダメなのである。『オーレオレオレ』
というあれもダメ、ゴールが決まるたびにダンスをしたりするあれも嫌い、選手が妻同伴でブラックタイのパーティ
をしたが、それもイヤ。 ・・・」 さて、ではどうしてカズがいい男に見えたのか、興味を持った方は是非ご一読を
▽『父の威厳』 藤原正彦 講談社
なんでも古いほうが良い国イギリス。ありとあらゆるハイテクを装備し、新しい工夫で飾りたがる・・・アメリカ
ティータイムにゆったりした気分で人生、文学、芸術を語り、自然と親しみ、余裕の中で新しい着想への思いをめぐらすというのが、
イギリス人数学者の理想である。一方のアメリカ人数学者は、コーヒーでやる気を覚醒し、自分を叱咤しながら論文生産競争に励む。
研究が忙しすぎてコーヒーを飲む間もない、というのが実態・・・時にはそれが計算されたアメリカ流のポーズ・・・なのだとか。
テレビをどの部屋に置くかで微妙に現れる階級意識など、両国に滞在した著者の実体験から語られるお国柄は興味深い。
最終章に書かれた、帰国後の長男の修学旅行にまつわる、学校との軋轢の顛末には苦い味がした。
藤原先生も『苦い勝利』なるタイトルを付けておられる。
教育現場に限らず、上から指令を出したい人、下からそれに従いたい人、という構図は封建社会の名残り
と考える著者の論には快哉を叫びたい思いであった。
「本当に必要なルール以外はいらない。どうして日本では、個人の良識にまかせる、とならないのだろう」と呆れたイギリスの友人。
不必要なことを一律に押しつける悪しき風潮。大の大人が無批判におこなう愚行の数々をどうやって無くしてゆけばいいのか、そこが問題である
◆『今宵、あの頃のバーで』 先崎 学 講談社
羽生善治3冠(平成24年11月現在)と同じ昭和45年生まれの棋士先崎八段がプロ棋界のエピソードを軽妙、時には深刻に綴ったエッセー。
週刊文春の連載から編まれた一冊である。タイトル戦や順位戦の昇級降級にまつわる厳しい現実や、普及活動に奔走する日々、女流棋士との
微笑ましい交流が著者独特の感性で語られている。実力の世界に身を置くプロ棋士に学歴は関係ないと思うのだが、近年は大学生プロも
珍しくはなく、また年下との対局が増えてきた今、歳月の流れに思いを馳せる。
最近将棋界にかかわる本を続けて手に取っている。「聖の青春」大崎義生(講談社文庫)、「将棋名人決風録」加藤一二三(角川書店)、
「人間における勝負の研究」米長邦雄(祥伝社)、「真剣師小池重明」団鬼六(幻冬舎)・・・少し前には「決断力」羽生善治(角川書店)、などなど・・・。
国際化という点では囲碁界のほうが圧倒的に先を行っているし、国内でも日本棋院のほうが将棋連盟よりも経営手腕は優れているそうである。
素人、初級者からみると囲碁が知的で品があるのに比べて、将棋は泥臭く、何やら情念に訴えてくる激しさ怖さが感じられるのかもしれない。
P.S.将棋関連のつづき
「将棋の天才たち」米長邦雄(講談社)、「名人に香車を引いた男」升田幸三(中公文庫)、
「泣き虫しょったんの奇跡」瀬川昌司(講談社文庫)、「将棋の子」大崎義生(講談社文庫)
昨年暮れ69歳で亡くなった米長永世棋聖は、将棋連盟会長職にあって数多の話題提供や改革を成し遂げてきた稀有な存在であった。
毀誉褒貶の激しかった棋士であったようだが、知らない人が読んでも、その語り口の魅力につい引き込まれてしまう。升田幸三も然りである
ピーター・フランクルの『諸国漫遊記』 ピーター・フランクル Z会出版
11カ国語(12カ国語?)を話す、数学者にして大道芸人。1953年ハンガリー生まれ。88年より日本在住。
ピーター日本を旅歩く/ハンガリーの中学、高校の修学旅行は、毎年クラス単位である。事前にガイドブックで調べどこに行くのか決めるところから
バス会社との交渉、宿の予約まで、すべて生徒たちに任されている。だからとても良い経験ができる。そして一番楽しいところは、
引率の先生も選べるというところだ。当然、人気のある先生とない先生がいて、一年に二回も三回も付き添う先生もいれば、
二十年勤務して一度も行かなかった厳しく口うるさい先生もいる・・・
まさに「所変われば・・」といった感じの旅のエピソードや故郷の思い出が語られている。日本人一般の旅とはかなり様相を異にするのであるが・・・
「象潟」(きさかた)という地名が読めたり、「駑馬十駕」(どばじゅうが)の意味まで心得ている恐るべきガイジン!(いったい何人と呼べばいいのか?)
我が母校にして、次男が在学中の野沢中学校創立50周年記念の講演会で間近に見たご本人は、このエッセイの印象そのままという感じであった。
講演の中での出題:『2010を1、2、3、4、5、6の数字を1度ずつ使った数式で表せ』・・・つまり四則演算やべき乗などを組み合わせて西暦年号を
作り出せという問題である。みなさん解けますか? →答えはこのページの最後に
『数学者の言葉では』 藤原正彦 新潮文庫
大学の講義に思う/向こうの学生は講義中でもすこぶる活発である。大学生でも教官に宿題を要求するし、
50分の講義中、質問が一つも出ないことは珍しい。くだらない質問が多いが日本人のように恥ずかしがらない。
理解できないのは自分のせいではなく、説明の下手な教官の責任と思うらしい・・・
ここに書かれたほぼ30年前の日米の大学生の置かれた状況、学問に取り組む姿勢は、海外留学も
珍しくない今、どれほど変わったのか、また変わっていないのか・・
また、国語教育に関する著者の論は時に独りよがりと感ぜられる場合もあるが、まことに痛快である
『駅弁の丸かじり』 東海林さだお 文春文庫
『爆笑問題の日本原論』 爆笑問題 宝島社文庫
『世にも美しい数学入門』 藤原正彦/小川洋子 ちくまプリマー新書
小川「数学者の人は、実用にすぐ役立っているというのはむしろ・・・」
藤原「恥ずかしいことなんです(笑い)役立つというと格下になっちゃうんです。ケンブリッジ大学でも、つい近年まで
工学部というものはなかったんですよ。すぐに役に立っちゃうから。そういうものは学問とは見なさないんですね」
小川「あ、学問の定義がもうすでにそうなっているんですね」
藤原「そう、実用にすぐ役立たないものなんです。だから、数学とか哲学とか文学が一番偉いんです」
数学者と小説家の対談。著者ふたりには多くのベストセラーがある。とりわけ小川洋子には
第一回本屋大賞を受賞した「博士の愛した数式」などがある
『昭和夢草紙』 滝田ゆう 新潮文庫
昔の人、古いものに出会いたくなる。とりわけ著者のカアチャンに
◇趣味・実用
『すばらしい数学者たち』 矢野健太郎 新潮文庫
古今東西の数学者24人の業績を、エピソードをまじえてたどりながら、数学の歴史も分かる。
『nが2より大きな正の整数であるならば、a^n+b^n=c^n を満たすような正の整数の組a、b、cは存在しない』
フェルマー予想で有名なピエール・ドゥ・フェルマー(1601〜1665)は解析幾何学の父といわれるルネ・デカルト(1596〜1650)=哲学者・数学者
と同時代に生きたフランス人だが、彼の仕事について知り得るのは、死後出版された、手紙や手記を通じてだけであるという。
おまけに微分学の発見者でもある・・・とフランス人は主張しているとか・・・一般にはニュートン(1642〜1727)とライプニッツ(1646〜1716)が
それぞれ独自に発見したとされているのだが。
手元にあるのは昭和59年の第14刷。日本の数学者の理論の上に、ワイルズ(1953〜)によって1995年証明された成果はもちろん書かれてはいない。
矢野先生には数学の参考書などでお世話になった世代でもあるし、
文庫の帯には新潮文庫の100冊/想像力と数百円(Imagination&Coins)と書かれていてなつかしい。
『時間』 本川達雄 NHKライブラリー
副題―生物の視点とヒトの生き方
生物学者が沖縄と東京の暮らしを経験して感じたフラストレーションから、物理的時間と生物学的時間の存在を説く。
70年生きるゾウも、3年のネズミも、一生に心臓が打つ回数は、どちらも同じ15億回。
哺乳類の寿命はゾウもネズミも次の式で表される T=11.6W^0.20 (Tの単位は年、体重Wの単位はkg)
生物学的時間から見た場合、現代人は異常に長生きしすぎており、それはとりもなおさず大量のエネルギー消費の結果だとみる。
われわれは、体が生きてゆくのに必要なエネルギーの40倍ものエネルギーを消費している。ヒト(生物)は何のために生きるのか?
子孫に対してうしろめたく感じる気持も持ちながらも、老いを生きるヒントを読み取ることができる
(ヒトの体重を70kgとして上式を用いると 寿命T=11.6×70^0.20=27.1年 寿命75年となる体重はなんと11t)
『雑学・日本なんでも三大ランキング』 加瀬清志+畑田国男 講談社α文庫
「三種の神器」「三筆」「御三家」「三冠馬」・・・歴史・自然・建築・農水産物・有名人・・・すべての「三」を網羅
さて、ここで問題 : 長野県の三大名物は何? →答えは食と農のページに
『自然流ハム・ソーセージ・燻製』 井草正 農文教
高価な道具はいらない。日曜大工でできる薫煙箱さえあれば・・・
私が試みたのはロースハム、ベーコン、チーズ、新巻鮭、ゆで卵・・・初乳チーズと新巻鮭は特にお勧め
『庭師の知恵袋』 豊田英次 講談社
プロの勘どころは、われわれ素人にわか庭師にも大いに参考になる。
施主とのやりとりなど読み物としての味わいも
ピーターさん出題の答え:2010=201×10=67×5×3×2の因数分解を手掛かりに考える。正解は複数あります。 6×5×(4+3×21)・・・・・・大きい順に数字が並びました (−1+2×34)×5×6・・・・・・今度は小さい順 (12×34−6)×5 (63+4)×2×15 134×5×6÷2 2^(5+6)+3−41・・・・・・まだまだありそうです! 今年は2011年、おそらくまた日本のどこかでピーターさんが 『2011を1、2、3、4、5、6の数字を1度ずつ使った数式で表せ』 とクイズを出しつつギャラを稼いでいるのでしょう → 失礼!・・・だけど羨ましい!! しかし、待てよ。 2011は素数か?・・・そうなると正解はいくつもないのだろうか? |